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豊宣 『新撰太閤記 織田信長 明智光秀 森蘭丸』 明治16年(1883年) 大判錦絵二枚続
明智光秀が、織田信長や森蘭丸に打擲を受ける図は浮世絵でもしばしば見られる。
様々な理由により打擲を受ける光秀ですが、この図にもまた理由が書かれています。
この図では、甲斐の恵林寺の快川紹喜は信長に敵対した近江の六角義弼らをかくまった。
引渡しの要求を拒否したため、恵林寺は焼き討ちにされてしまう。
この焼き討ちを光秀が諌めたために、信長に鉄扇で打擲を受けているのです。
また快川紹喜は光秀と同じ美濃の土岐氏の一族であったとされていて、
光秀がこの事件を恨み、本能寺の変に至ったとする説もあります。