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国芳 『源頼光公館土蜘作妖怪図』 天保14年(1843年) 大判錦絵三枚続
老中水野忠邦による天保の改革が進む天保14年8月、この絵が出版された。
これが忠邦の天保の改革を批判した風刺画という噂が瞬く間に広がった。
病床の源頼光が12代将軍徳川家慶、逆沢瀉紋のト部季武が同じ家紋の老中水野越前守忠邦、置物の兎が天保14年(1843)卯年を示している。後ろの妖怪の群れは、改革に反発する庶民を示すと言われ、それぞれ妖怪達の謎解きが大流行となった。妖怪達の見立ては当時でも現在でも諸説まちまちであるが、この絵は予想以上に売れたため、あまりの売れ行きに版元印や絵師の名前もわからない偽物まで登場した。版元は危険を感じ、お咎めを受ける前に自ら版木を処分したといわれている。