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貞秀『宇治橋合戦』 弘化四年~嘉永5年(1847年~1852年) 大判錦絵三枚続
治承四年(1180)に源頼政が以仁王を奉じて平家に対し挙兵。
三井寺から南都興福寺へ向かう途中に、宇治橋の橋板をはずして平等院に立てこもり戦う。
宇治橋の上で矢戦となる。宮方は奮戦するものの、頼政は宇治橋を捨てて平等院まで退き、
以仁王を逃そうと防戦。頼政は平等院で自害。
以仁王は辛うじて平等院から脱出したが、敵の矢に当たって落馬したところを討ち取られた。
この図は、宮方の筒井浄明や一来法師の活躍を描いている。