■MOVIE「The Fall 落下の王国」
2006年、アメリカ、インド、イギリスで共同制作される。
実に撮影場所は24カ国にもおよび、その映像美が話題になった。
ことに、「映像」がウリの映画と思いきや、そんな生易しい映画ではなかったのでほっとする。
後からみれば、本作品のいくつかの受賞も納得である。
でも、あらゆる人が最後まで見切ることができるものではないと思う。
前半は、やっぱり期待はずれだったかと思いながら観ていたが、
後半に胸を熱くすることになった。
というか、「落下の王国」の「落下」というのは、
最後の最後で「なあんだ、これか」という感じだが(注意深い人は、主要人物が出そろった時点でわかるか!?)
ちょっと蛇足じゃないか?という感じだ。
でもオープニングから一貫した独特の表現方法は嫌いじゃない。
私は作家や漫画家のような、ストーリーを生み出す人間ではないので、
実際の作業をする人の心情はわからないが、
それは結構なエネルギーのかかる作業と想像される。
ある漫画家が言っていた。
「あるときにキャラが突然勝手に動くんです。あの場面(○巻○ページのシーン、などのように特定して)は
本当はあんな風にする予定はなかったんです」
……??
特にこれを聞いた小学生だった私は、彼女が何を言っているのか
わからなかったものだ。
また、彼女はこうも言っていた。
「『こんな奴大きらい』とか、『こんなことしちゃだめだー』とか、そう思わせるような
頭の中ではすんなり受け入れられないキャラを作りだしたときに、この漫画の成功を感じる」と。
なるほど。
こちらは小学生なりに理解したつもりであった。
そして、生みの苦しみはここから来るんだなーと思ったものだ。
そう、作者はストーリーをどうにでも出来る。
当たり前なのに、全然考えたことがなかったけど。
だから、私たちが普段読んでいる本は、作者が「これがベストだっ」と決めたストーリーということだ。
ということは、「もし私だったら。。。」と別の展開を考えること自体は可能で、
でもあらゆる可能性の中で、一番伝えたいことを伝えられるストーリーを展開させるのが
「プロ」なわけです。
今思えば、グリム童話なんて、その典型例で
グリム兄弟の出した結論:怖い話
子ども向け:怖くない話(リメイク)
というわけで、読み手のことを考えて、展開を変更したわけなんでしょうね。
これは結構自然なこと。
でも、自分が望まない世界には「未経験」の世界が往々に含まれていて、
読者はその部分を切り開くことを期待するため、
リメイクの多用は禁物。
さて、この映画においては、「リメイク」の意味合いがちょっと違う。
というか、グリム童話の場合に近い。
話のエンディングの過激さがやわらぐことは、
少女の心の優しさと、少女と青年の心の通じ合いを示しているので、
必要不可欠な要素だった。
そして、涙ながらに語る青年に、こちら側が泣かされてしまう、そんな繊細なエンディング。