2010.11.25 北京 晴れ
今日から、中国に2週間弱行ってきます。
実は初めての海外旅行です。
楽しみです。
今回は高速バスで成田空港へ。
やっぱり乗換ないと楽でいいです。
森林公園駅から2時間半弱で成田空港着です。
今回は、JALだったのですが、
まずは機内食が「お弁当」でした!!
味はおいしかったです。
かやくごはんがついていたのですが、
箱とは別に厚紙に包んで温めて出てきました。
開けてみると、なんと3つに分けやすいように、山3つ作った形で包まれてました。
その心遣いに、私はちょっと感動しました。
空港でも、やはり日系企業はサービスがきめ細かいと思っていますが、
それと同時に、欧米のように「焼いたパンをそのまま出す」のと
日本のように「ご飯を包んで出す」という動作の違い自体にも、
愛情というか思い入れを入れやすいのが
日本スタイルかなと思います。
成田空港⇔北京首都国際空港間は、4時間弱。
帰りはもっと早く着きます。
思ったより近いですよね。これから気軽に行けそうです。
そういえば、飛行機が動き出して、これからエンジンふかして飛び立つぞっというタイミングで
「飛行機の渋滞」を初めて目にしました。
あれだけの図体のものが、どうしようもなく並んでいるっていうのは
はっきりいって笑えます。
6台ほど、私の乗っている飛行機が飛び立つのを待っていました。
こんなこともあるんですね。
また、余談ですが、成田空港で、同じ搭乗口から、北京行きの1時間ほど前に
グアム行きが飛び立って行きました。
グアム行きには、サーフィンの本持っている人や、ビーチサンダルはいた人など
「いかにも夏のバカンスを楽しみに行く人」がほとんどだったのですが、
一方北京行きは、ビジネスマンがほとんどでした。
色々な理由が考えられますが。
さて、北京空港についた後は、お金よりも時間を優先させてタクシーに乗りました。
そしたら道路が混んでいて、ときおり止まりながら、でも1時間かからずにホテルに着きました。
高速料金10元+タクシー代100元=110元。
小銭がなくて、200元出したら笑われました。
チェックインもさっさとすませ、今日は天壇公園へ。
広いっ。
中国は広いと聞いていたが、やっぱり広い。
公園の中心付近にある祈念殿まで、1キロくらいありました。
公園の中にはランニングしている人もいて(しかも上半身はだかの人が多くて…)
なるほど、うらやましいなあと思います。
今日の北京は昼間で7℃。
16時頃でも、外を歩いていて、手がつめたくなってきました。
天壇公園からホテルに帰る途中に、水や夕食を調達してホテルで一休み。
今日は19:30から、京劇も見ることになってます。
初めての京劇。
かなり歌舞伎と似ている部分があって、歌舞伎が好きな私は楽しめました。
日本語ガイド(40元)もあったおかげかもしれませんが、
「もっとやって~」というくらいでした。
見得を切ること、くまどりをすること、などは歌舞伎と共通です。
今回は孫悟空の物語の一部分で、立ち回りが非常に多かったのですが、
その「魅せ方」も歌舞伎と似ていて、全く違和感なく鑑賞してしまいました。
今回、外国人向けにイヤホンガイド完備、英語字幕もあるところで観たので
ほとんどが欧米人でした。(それでも席は半分しか埋まらなかった)
それを考えると、もしかしたら日本の歌舞伎の方が
住民の支持を受けているかもしれない。
私の中国人の友人も、京劇には全く興味ないと言っていたが、
例えばキャストや演出などで中国人に対して魅力的な発信が出来ていないのか
今後、京劇が衰退の道を辿るのか、個人的には気になります。
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■BOOK「「分かち合い」の経済学」 神野 直彦
この本は、非常に興味深く読みました。
「日本は「小さな政府」を目指すべきではない。「大きな政府」でもって
「分かち合い」の精神を持ってすれば、経済は立ち直らせることができる」
という、警笛を鳴らす新書である。
1929年、世界恐慌が世界を襲う。
その後、1939年第二次世界大戦の勃発も手伝って、
重化学工業の発展が経済復興をかなえることになる。
その間、ドイツとイタリアはファシズムの台頭を迎える。
重化学工業ということは、インフラの整備も伴い、政府は
「大きな政府」へと変化していく。
ところが、戦後1973年、ある3つの出来事によって
世界が「小さな政府」へと方向転換することになる。
その3つの出来事とは、①石油ショック、②チリのクーデター、③ブレトンウッズ体制、である。
殊にイギリスのサッチャー大統領などは、小さな政府論を唱えた代表格。
日本も、この世界の流れに乗じて、今「小さい政府」を目指そうとしている。
ところが、日本においては、上記の流れが特別にあてはまらないという。
日本は、企業や家庭が、ある種の「共同体」を形成するために、
政府の役割の一部を企業や家庭が担うことで、
重化学工業の発展する最中にも、政府が「大きな政府」になる必要がなかったという。
※「共同体」とは、企業でも家庭でも、目上の人は肩書きで呼び、
目下の人は固有名詞で呼ぶ。そして企業内、または家庭内では「分かち合う」精神が
浸透していたという。
つまりは、もともと大きくなかった政府が、さらに小さくなろうとしているものだから
社会保障が行き届かないことになるという。
実際、日本が本当に平等なのか、というデータが載っていたが、
「小さな政府」のために利益再配分機能が不十分で、主要国の中では
アメリカの次に不平等な国という結果であった。
ではどうすればいいのか。
それには「知識社会」を目指すこと。
そのためには、教育制度に関して、改革が必要である。
(フィンランドはよく知られた好例だ)
今、日本の企業は、儲けるフィールドを日本やアメリカなどの先進国から
中国やインドなどの新興国に移し、そしてまた同じことを繰り返そうとしている。
それでは何の解決にもならないということを論理だって教えてくれる本だ。
また、「男は外で働き、女は中で家事をする」というのは「差別」としか考えなかったが
それは実は重化学工業の発展に伴う仕事分担だった。
重化学工業は体力が必要な仕事が多いから、男性が担い、
当時「分かち合い」精神を持っていた日本では女性は家庭をみる、というように
自然になっていったという。
今は、必ずしも体力は必要ではなくなり、「知識社会」へと変化しつつあるわけで
そのことが女性の進出を手伝っているという。
そのように、これまでは人々を支えてきた家庭の担い手がいなくなった今、
ますます社会保障の重要性は高まると思うのだが、
もはや手だての打ちようがないほどに、日本の政治も財政も弱ってしまった。
イメージ先行の政治家選びに始まり、足のひっぱりあいの国会もそうだし、
この本のような意見を政治側から聞きたいものだと思う。