最近、「小さな政府論は間違っている。なぜ日本の政治家は大きな政府を目指すと言わないのだ」

という趣旨の主張を何度か目にした。


私も小泉政権のときには

「政府がやれば、その部分は費用が余計にかかる。

日本上の金が効率的とはいえない。」

と思っていたし、まさか自分が公務員の世界に片足を突っ込むようなことに

なろうとは思ってもいなかった。


でも今は、案の定「大きな政府論」に心は引っ張られてる。


木村忠正氏「「間メディア性」本格化の年」によると

「気をつけていないと誰かに利用されてしまう」かどうか、という問いに対して

 日本    :そう思う33.5% ややそう思う46.2%

 フィンランド:そう思う16.8% ややそう思う56.8%

とな。米国に追随し続ける日本が、あらゆる点で日本らしさを手放し中、という気がする。


「日本は治安がいい」とあるが、それは経済格差がないから

他人のものを奪うという発想がなかっただけ。

今、格差が広がってきたものだから、凶悪犯罪が増加している。


もう一方で、「気をつけないと」とはなんぞや、という点はある。


例えば、私の母親は教師をしていたが、数年前に退職。

母は「先生してる人はバカだから」とか「不景気かどうかを感じない」職業として

いつも卑下するが、どのような職業でも、専門性が求められている時代。

先生だって、やるべきことが昔より増えているわけで、

その間に経済の勉強をしろとは言えないと思うわけです。


でもそういったことは、ほとんどの職種について言えるわけで、

メディア関係の職業以外は、実質的には「社会の一部」という立場を長期間経験する。


そんなときこそ、「各自で気をつけろ」というよりは「誰でも大丈夫ですよ」という環境が

ほしいなと思っている。


だが、モラルの低下も叫ばれて久しい。


ネットが社会の在り方を変え、よくも悪くも、独りでなんでもできるようになった。


今になって思えば、やはり家庭や小学校時代の近所の友達付き合いが

私を形成するのに大きな影響力をもつ。

その時代に多くの経験が出来るような教育制度・環境の整備が必要と思料。