↑前回のブログ  の続きです

義父退院2日目の夜のことです。

義父の声がするというので、

夫は階下へ下り義父の様子を見に行きました。

すると、義父が食べ物を欲しがったそうです。

 

夫は、ゼリーを食べさせましたが、

それでもまだ欲しがるようだったので、

プリンも食べさせたそうです。

(私は、発熱している次男に接していたので、感染予防もあって、このときは階下には降りませんでした)

 

翌日(退院3日目)は、

義父の大好きなお風呂に入ってもらおうと、

訪問入浴の予約をしていました。
そのため、前日には、点滴の針も抜いてもらっていました。

(それくらい症状は落ち着いていたのです)

 

朝になり、私が階下へ下りた際、

訪問入浴の準備もあるので、

義両親の部屋を覗いてみると、

義父はまだ寝ていました。


しかし、これまでとは様子が違う感じの眠りだったのです。


義母にも声をかけ、

「お義父さんを起こしてみて」と、

義父の肩をたたいて声をかけてもらいましたが反応がありません。

いつもと違う様子に、

私は夫にも声をかけましたが、

夫もよく寝てるだけだと思ったようです。

しかし、私には、

意識がもどらない義父が普通ではない

と感じたので、すぐに看護師さんに連絡をし、

訪問してもらうことにしました。


まもなく、看護師さんが到着。

しばらく様子を見てくださっていましたが、

この状態は、下顎呼吸であるとのこと。
つまり、危篤の状態だったのです。

看護師さんは、お義母さんに、

義父の手を握ってあげるように促してくださり、

お手洗い以外は、ずっとそばにいてあげるように伝えてくださいました。


在宅勤務に切り替えていた夫も、そばで見守っています。

訪問入浴の時間が近づいていましたが、キャンセルさせてもらいました。

そして、、、

その約3時間後、

家族に見守られながら、

義父は穏やかに息を引き取ったのです。



実は、入院していたお医者さんからの今後どうするかの病状説明は、

お医者さんの判断で、予定より1週間早められたことでした。

 

急な変更に、夫と共に対応できたことも、タイミングが良かったことでした。


もし、あのとき、病状説明が早められることなく、

病院のまま過ごしていたとしたら、

もしかしたら、こんなふうに自宅で看取りをすることができなかったかもしれません。
 

たくさんの看取りをされてきたお医者さんだったので、

もうそんなに長くはないことを察して、

病状説明を早めて下さっていたのだと私は感じていました。


お義父さん自身がしっかりと自宅に戻ったことを意識して、

食べたい気持ちを夫が満足させて、

そして、その後、気づいた時には、下顎呼吸となっていて、

家族で息を引き取るときを見守ることができたのです。

自宅で義母や夫に見守られながら、

こんなに穏やかに最期を迎えられたこと、

私は、本当に素晴らしいことだと思いました。

葬儀は、家族だけで行なうことと決めていましたので、

そのまま火葬の日まで、自宅で安置


火葬場が混んでいるようで、

火葬は、4日後となりました。


その間、義母は、義父の横で過ごし、

義父に話しかけ、ゆっくりとお別れすることもできました。


義両親と同居して14年。


境界性パーソナリティ障害だった義母は、

自分のことに精一杯で、いつも義父を罵倒し、

家事はすべて義父にしてもらい、

こき使っているような関係で、

なのに義父の面倒は見れないと

義父が動けなくなってからは、

義父の介護とともに家事もすべて私に押し付ける形になっていました。

 

私の中では、どうして奥さんがいるにもかかわらず、

私が見なければならないのか、

納得できない思いもありましたが、

 

義母が義父に関わることで、

かえって、いろいろと問題が起こってしまうことがわかり、

結局、私が面倒を見させてもらうことになっていました。

義父は、義母とは違って、

生活のルーティンもきっちりと決まっており、

私のペースをほとんど乱すことなく、

お互いがお互いのペースを大切にしながら、

関わることができたので、

私の気持ちが乱されることはほとんどありませんでした。


義父の面倒を見させてもらうことで、

私は、私の因縁の解消もさせていただけると思っていたので、

気持ちよく、関わらせていただくことができました。

義父を家で介護しているとき、

義父の状態が良くないと、

「早く◯んでくれ」

と何度も怒鳴って不満ばかりを言っていた義母。

 

その傍らで介護する私はそのことがとても辛く、

心乱されたことでした。

 

そんな義母が、今では、

「寂しい寂しい」と連発しています。

 

息子である夫も、

「もっとしてやれることはなかったのか、

家に連れて帰ったことで、かえって、寿命を縮めてしまったのではないか」

など、後悔することも多いようですが、

 

私は、お義父さんは、こんなにみんなが納得するときまで、

これまでも何度も死に直面しながらも、

ここまで踏ん張って生きてくださったことに、感動さえしていました。


そして、実は、義父の亡くなった日は、私の誕生日と同じ月日だったのです。

決して、忘れることのできない日となりました。


お義父さん、長い間、本当にご苦労さまでした。