今回コロナウイルスの騒動にて、「STAY HOME」を訴えています。しかし、スマホ・IT技術の発展により直接合わなくても繋がりはできるようです。

 

元々交流が活発で、スマホを使うことができる人は、です。

 

 

高齢者でスマホを使わない世代は、引きこもっています。

しかし、スマホを持っていなくてもどうやら近況報告として家族や知り合いと連絡を取っている人が多いようです。

できている人は、孤立しているとは言えません。物理的には孤立していると言えるのかもしれませんが、「助けて」と言えます。そして、その声を聞いてくれる人たちがいます。

 

 

新型コロナウイルスから学ぶのテーマの一つは孤立です。

それも、社会的孤立が浮き彫りになってきているように感じます。

親と子ですら、連絡を取り合うのは億劫に感じたりする人もいるくらいで、ですがこんな時期です。

読者の皆様は連絡取っていますよね?

 

社会的な孤立とは、一言で言うと【自分ではどうにもならない状況であるのに、助けてと言う相手がいない】そんな人たちです。実際に、物理的に助けてあげられるかはどうかは別で、助けてと言う相手がいるかどうかが大事です。

同時に、自分が助けてと言ってもいい人と思っているかも非常に大事です。

そもそも「自分は助けてと言ってはいけない」と思っている人は多いものでその人の多くは、様々な病気によって大事なことに気付かされます。

 

 

 

 

 

とあるこじらせ女子のストーリーを紹介します。(モデルがあるので多少リアルに感じますが、フィクションです)

新型コロナウイルス感染症をきっかけに、自分と向き合い、病気の軽快とともに自分を変える、そんなショートストーリーです。解説はしません。

 

 

 

 

・長女で、昔から弟や妹のお世話をして、泣き言なんて言わせてもらえなかった。

 そして自分はしっかりしなきゃと沢山勉強して、出世して、部下もできた。

 部下に対して、自分と同じレベルの成果を求めてしまい、部下が着いてこれない。

「なんて弱い人。ゆとり世代はだから困る」と叱責しながら部下のフォローをする。

 ある時、自分が体調を崩してしまうが「弱音を吐いてはいけない。自分がいなきゃダメなんだ」と体調不良を隠して無理を続ける。こんなことは昔からよくあった。だからバファリンやイブ、市販の薬に加えて病院ではロキソニンやカロナールと言った鎮痛薬を処方してもらい、カバンに常備していた。微熱はすぐに下がったが、ご飯が美味しくない。体調はいまいちな状態が4日ほど続いている。これは、誰にも言ってない。言ってしまうと、自分の価値が下がると思っている。薬を使ってでも体調をコントロールし、仕事に励んでいるのだから褒められていいよね。

 そんな時に同じ職場内で数日体調不良で休んでいた人が新型コロナウイルスのPCR検査で陽性の結果が出た。朝、その報告を聞いたが自分はすでに下熱していたし言うのが怖くて、自身の体調不良を上司に報告するのはその次の日の夕方になってしまった。

 翌日から休めとの指示だが、「多分大丈夫です」と言ったところ、上司から叱責を受ける。

 翌日、仕事を休み、濃厚接触者ということですぐに検査をしてくれた。結果は夕方に出た。陽性だった。保健所の職員から電話があり、体調不良からの動きと会った人を細かく聞かれてとても疲れた。すぐに上司に報告し、同僚にも報告した後皆に謝った。

「あれだけ周りにも厳しく言っていた自分が、まさか体調の自己管理ができてなかったなんて恥ずかしいです。幸い頭はクリアだから、仕事は遠隔サポートさせて頂きます」と送った。

 すぐさま上司から返信があって、怒られた。「休むことに専念してください」

 嫌われていると思っていた部下は遠隔サポートを断ってきた。「そうやって無理を重ねてきたんですね。とにかく休んでいてください」生意気な部下だと思って、腹が立った。と同時に自己嫌悪に陥った。

 

 陽性の結果が出た翌日の朝に車で迎えに来てくれた。全身防護服の人が2人乗っていた。新型コロナウイルス専用の病棟に入院することになったが、1日5回の検温と食事以外は何もすることがなく、テレビやスマホを見ながら過ごしていた。仕事のことが気になって落ち着かない。今日も職場に連絡して状況を聞きたい。しかし、きっと忙しくて誰も相手にしてくれないのだろうな。夕方になり、新規感染者が発表された。そのうち、6人が自分の職場から出たと報道があった。もしかして、自分のせい?

 自分の存在を恥じた。

 自分がすぐに休まなかったことや上司に相談しなかったことをひどく責めた。先に陽性になった同僚を責めた。

 胸が苦しくなってベッドに横になり、しばらく頭が回らなかった。ぼーっとして、夜20時の検温の時間になり起きた。体温計を挟む。脇が冷たい。「37.2℃。こんなの、平気で働いてきたわよ」と、言った途端にあることに気付いて泣いた。「こうやって、無理を自分だけではなくて周りにも強いて来たんだ。酷い人だわ」過呼吸くらいに息が激しくなった。

 

 そんな苦しい中、なぜだか、昔の自分を思い出した。親からの期待に応えようと弟たちのお世話をしてきたこと、勉強も部活も表彰されるくらいで、地域でも「神童」などとチヤホヤされたくらいだ。

 

なんのために頑張ってきたんだっけ?

 

 

 気付いたら朝だった。酸素チューブが鼻に着けられていた。体が熱い。微熱ではないだろう。スマホを見ると、同僚や友人からのラインとともに弟と妹からもラインでメッセージが届いていた。メッセージを見るのが怖かったが、みんなこんなに優しかったっけ?とか思って生意気な奴らだなんていう感情も合わさって複雑な気持ちだった。普段迷惑メールしか来ないメールボックスの処理をしようと開けて見たら、母からのメッセージが入っていた。自称機械音痴の母はまだラインができない。やったらできるのにな、なんて思いながらメールを開いた。

 

「母です。

今、どこにいるの?何か必要な物があったら言ってちょうだいね。

プリンは食べれる?すりおろしリンゴ持って行きたいんだけど?

今はゆっくり休んでね。返信待ってます。

母より」

 

不器用な母にしては珍しく、誤字がないことに逆に笑ってしまった。

誤字はないが、文はおかしい。

 

「入院中だから面会できないよ〜。食べ物も持って来れないよ。

気持ちだけ受け取っておく、ありがとう。また連絡するね。」

 

ゆっくり休んでと、返信待ってますってなんだか矛盾しているようで、

でも親の心配してくれる気持ちがよく伝わる。

このメールを打つのに、どれだけ母の気持ちが動いていたのか思い馳せて見ると

暖かい気持ちを感じて、また泣いた。サラサラの鼻水が死ぬほど出た。

 

母に返信したら病院の職員さんが朝食を届けてくれた。もう息苦しくなかったら酸素チューブ外してもいいと言われたので、もう外した。

朝食には、りんごジュースが出た。母の想いが届いたのかな、なんて呟いて、思わず笑った。

りんごジュースは甘い。

すりおろしリンゴかぁ。そういえば、私が小さい時に病気の時だけすりおろしてくれてたんだっけ?

なぜか、弟と妹の時にやってた思い出ないけど。

そう思うと、自分だけって特別感あるよなぁ。

 

あ〜、そうかぁ。

自分が何のために頑張ってたんだって、母に見て欲しかったんだな。弟や妹が生まれて、愛情を取られたんじゃないか、だから頑張ったらまたこっちを向いてくれるんじゃないか?って。

いやいや、そうじゃなくて母はずっとこっちを見てくれてたよ。きっと。

母が不器用なのに気付いたのは、自分が大きくなってから。その時には、もう自分はこじらせてたんじゃないか。

別に、自分は頑張らなくてもよかったんじゃない?って、それは言い過ぎかな。

 

りんごジュースだけで胸がいっぱいになったから朝食は残した。

 

熱は38.5℃まで上がっていた。

 

テレビを見ると、ワイドショーで新型コロナウイルスのあれやこれやばっかり言ってる。

この教授、いつも見るなぁ。どれくらい儲かっているんだろうか。

あ、今度はクラスターの話しか。自分の責任だ。自分が悪い。どうか、これ以上感染者が増えませんように。

そう願って、ワイドショー以外の番組にチャンネルを変えた。

 

そう願うも虚しく、夕方にはさらに4人が職場から陽性が出た、とのこと。

 

今日も、夕方以降になると何人からかメッセージが届いた。

届いたメッセージには返信する。

 

母からメールが届いていた。

「母です。

調子はどうですか?面会ができなくて残念です。

すりおろしリンゴは、自分で注文してくださいね。

早く会いたいです。連絡くださいな

母より」

 

「今日もメールありがとう。心配かけてごめんね。

病院食は、注文制じゃないよ。そんな病院聞いたことあるのかな?

そういえば、すりおろしリンゴって私にだけしか出してくれなかったよね?」

 

日中気になっていたことを聞いてみた。

 

すぐに返信が来た。思っていたよりも早くて笑ってしまった。

「母です。

すりおろしリンゴは病気の時だけの特別です。

あなたが一番好きで、弟君と妹ちゃんのために作ったやつ、食べちゃうのよ。

だから、弟君と妹ちゃんはあまり食べた思い出がないんじゃないかしら?

ほら、私、めんどくさがりで一回作ったすりおろしリンゴを作り直すなんて嫌なのよ

母より」

 

あっ、そうか。私が食べてたんだ。やっぱり、欲しがり屋さんだったんだな。

 

「お母さん、しんどいよ。早く会いたいよ」

 

「しんどいのね。私も会いたいわ。早く良くなって帰って来なさい」

返信メールを見て、また泣いた。

 

私が、こうやって弱音を吐いたのは初めてだ。多分。

スッキリした。

そうだ、いいんだ。これで。

自分は弱音を吐いたっていいんだ。

こんな自分自身に、「まあ、いっか」と言ってあげられて、それが100%ピッタリと受け入れられる。

不思議だな、病気なのに。病気だからこそ、なのかな。

まあ、いっか。

 

と思うと、その日はぐっすりと寝ることができた。

 

翌朝、もう熱は下がっていたように感じた。検温でも、その日は全部平熱くらいだった。

食事も美味しくなったように思う。

特に、果物が美味しい。

「リンゴおかわりください」と注文するが、「できないですよ〜、そんな病院聞いたことありますか?」と断られた。その職員さん、笑いながら返してくれたことが何より救われた。

この病棟で働く職員さんは、いつ自分がかかるかわからない、そんなリスクの高い状況で働いている。と言っても最低限のリスクに抑えてなんだろうけど。患者さんに対して、少しでも不安を解消できるように働いてくれているんだ。今日まで意識しなかったけど、本当にすごいや。

そうだ、職場に対してもそうだよな。本当に感謝。

 

入院して5日目。PCR検査を受ける。陰性が出た。

入院して6日目。またも陰性が出た。これで、解除とのことで退院できる。

家族、知り合い、職場にメッセージを送った。

 

すぐに仕事に復帰はできないが、自宅に帰ることができるっていうだけでこんなにも嬉しいかって思った。

 

感謝しかない。退院する時、病院スタッフが見送りに来てくれたのは1人だけだった。今も頑張ってくれているんだなと、頭が下がった。しかし家までは、なんと病院スタッフが車で送ってくれた。

 

帰ってから、まずは着ているものを洗濯し、お風呂に入った。すぐに掃除をして、布団も干した。

まだ1週間は仕事は休む予定。

最低限の買い物以外は、外にも出ない。誰にも会わない。家族、友人にもね。

そう決めたから。

 

 

夕方になり、みんなから続々とメッセージの返信が届いた。

その返信に忙しい。

1回返したら、また返ってくる。それを10人とやりとりしてる。

ラインだから、スタンプやら絵文字やら、女子は画面が賑やかだ。

ありがとう、ありがとう。

電話?いいよ?電話じゃうつらねーよ馬鹿!

 

なんてやりとりしていたら、気がついたらもう21時だ。

 

晩ご飯食べてないや。いや、帰宅してから掃除して荷物整理して、昼ご飯も食べてなかったっけ。

 

しまった。まだ買い物に行ってない。

えっ?そういやスーパーはもうこの時間しまってたんだっけ?

 

まあ、仕方ないか。

 

もう寝よう。

 

 

 

 

ピンポーン

 

こんな時間に誰だ?配達は頼んでないよな?

 

ガチャ、と開けた途端に思わず閉めてしまった。

 

「お、お母さん!どうしたの?」

ドア越しに話す。

 

「あなた、退院したって聞いたから。ほら、開けなさい」

母はゴンゴンとドアを叩く。

 

「まだダメだよ、私、陰性になったばっかりだもの」

 

「陰性だったらいいんじゃないの?」

 

「そうだけど、もしかしたらってこともあるから、まだ1週間は誰にも会わないって決めてたの」

ドアを閉める手が震える。ご飯を食べてないからではない。

 

「あら、奇遇ね。私もあなた以外の誰にも会わないって家を飛び出してきたのよ。お父さんも行ってきなさいって。声を聞いてほっとしたわ。」

 

「うん、私は大丈夫。だから、もう帰って」

 

「ご飯食べた?」

「今から食べるの」

「何食べるの?」

「今から考える」

「買い物行ったの?」

「行ってない」

「もうスーパー閉まってるわよ。どうするのよ。」

「なんとかする!!」

 

 

「そういうところよ!!いい加減素直になりなさい!!」

ビクッとしてドアから手が離れてしまった。

 

それよりも、母に見抜かれていたのでは?と思うや否や、私は号泣していた。

 

「うわぁぁぁぁん、お母さん、会いたかったよ」

 

ドアを開けると、泣いて顔をぐしゃぐしゃにした母がリュックを背負って両手にパンパンになったスーパーの袋を持って立っていた。

 

「はいはい、上がるわよ。よしよし。私も会いたかったわよ。」

「うん、会いたかった。寂しかった。」

 

 

 

子どもがどうしてかわいいかって?それは、あなただからよ。

 

 

昔、母が弟や妹に言っていた言葉の中には、自分も入っていたんだなぁと今初めて認めることができた。

いい大人になった自分だが、この時は恥ずかしいと思わなかった。ただ、母の愛情が暖かかったんだ。

これを感じることができたのも、病気になったおかげかな、なんてどんだけこじらせてるのよ私。

 

結局、この後母と2週間一緒に暮らすことになった。

たっぷりと母を独り占めして、兄弟からひんしゅくを買うのではないかと思っていたが、

結局、親離れできていなかったのは長女である自分だけだったということに気付いた。

 

でも、それでもいいんだ。今の時期が終わったら今度こそ巣立つんだから!!

 

 

 

 

母と2人で暮らしてちょうど2週間経った日、父からメールが入った。

「俺も行く」

断固拒否したけど、これはもうこじらせてないよね?