弱法師ーよろぼし
お能に弱法師という名曲がある。河内の国高安の里の左衛門尉道歳が、後妻の讒言を入れて、一子春徳丸を追い出す。春徳丸は大坂の天王寺の乞食の群に入って暮し盲目となってしまう。後で讒言と知った父が、春徳丸を訪ね出だして、高安に連れて帰る、という物語だが、この能の良さは筋よりも、春徳丸の最後の舞にある。
盲目となった春徳丸は杖を頼りによろよろと彷徨い歩き、眼の見えた頃の景色を追憶し、舞うのである。その最後の舞台は、
あの面白や、我盲目とならざりし前は、弱法師が常に見馴れし境界なれば
何疑いも難波江に、江月照らし松風吹き、永夜-えいやーの清宵-せいしょうー 何のなす所ぞや
住吉の松の隙より眺むれば 月落ちかかる淡路島山と
詠ーながーめしは月影の 今は入り日も落ちかかるらん
日想観ーにっそうかんーなれば曇りも波の 淡島 絵島 須磨 明石
紀の海までも見えたり、見えたり、満目青山は心にあり
おう 見るぞと、見るぞとよ
さて難波の浦の致景-ちけい―の数々
南はさこそ夕波の、住吉の松影
東の方は時を得て、春の緑の草香山
北は何処ーいずくー難波なる、長柄の橋の徒らに、彼方、此方と歩く程に
盲目の哀しさは、貴賤の人に行き逢いの、転び漂ひ難波江の
足元はよろよろと、げにも真の弱法師として、人は笑ひ給ふぞや
思へば恥ずかしやな、今は狂い候はじ 今よりは更に狂はじ
後半、杖を頼りによろよろと、よろめきながら歩く舞は、能弱法師の圧巻であり、観客は息を凝らしてシテの脚元を追い、舞に感動する。
弱法師の謡の文章もすぐれている。世阿弥の長男、観世十郎元雅の作。彼は大和の奥にある天河神社に舞を奉納し、能面をも奉納してから、伊勢路へ能興行に出るが、伊勢で客死してしまう。歳31歳。若すぎる惜しまれた死でぁった。