大正という時代 | 閑話休題

 大正という時代

 所蔵の「堀辰雄全集」を全部読み終えた。軽井沢を舞台に、日本離れしたロマンチックな小説であるが、彼の後半、太平洋戦争の真つ最中にありながら、全作品の中で戦争に関する文章は一切出てこない。だが彼の生きていた時代は、日本史の中で最も:激動の時代であったことから、「一体大正時代とはどういう時代だったのか」を考えてみた。

 

 明治時代、日清・日露の戦争に勝ち進み、神州不滅を信じ、日本は軍国主義の時代へ入って行った、そして満州・シナ事変を経て、昭和16年12月太平洋戦争に突入、20年8月に悲劇の敗戦で終わった。この年代昭和生まれは最高16歳、まだ学生の未成年であったから、戦争を主導したのは、実質大本営参謀本部の中枢にいた大正生まれの壮年将校たちである。彼らは実戦経験に乏しく、机上作戦で大軍を動かそうとした。しかし今では彼らの作戦には疑問が残る。

 

①米英と戦争に入る前にシナとの戦争を一旦中止、休戦をし、蒋介石軍を後押しして,中共軍を壊滅されるべきであった。

  台湾も勿論日本領そのままとなる。 

②東南アジア進出は資源確保のために重要であるが、満州・シナの兵力を向け、占領後は現地政府を擁立して植民地を開放、そのあと

  現地軍を瀬創らせ教育養成することで、かなりの日本の兵隊を引き上げるべきであった。

大艦巨砲主義よりも、飛行機を中核とした軍備に変わりつつあり、初期にハワイ攻撃に威力を発揮。その後何故ハワイを占領し、航空

  母艦と飛行機の大基地とし、アメリカ本土に攻撃を仕掛けていたら、全面敗戦ではなく、講和などに持ち込めたであろう。それなのに

  南方島嶼に兵力を分散させて、戦線拡散し過ぎている。兵站線は伸び、輸送船は敵の好餌となり、前線は食糧・弾薬は枯渇し、兵を

  苦難に陥れるに至った。作戦の拡散は大失敗であった。

④敗戦が濃くなると昭和生まれの未成年を学徒動員をし、神風特攻隊や人間魚雷といった非効率な戦法で、昭和生まれの少年をステ

  のように扱い、彼らへの人道的な配慮は微塵も持たなかった。

➄戦局が悪くなると、大本営発表は敗戦を隠蔽し、勝戦は水増しして報道し、国民に戦いの真相を知らせず、原子爆弾によってはじめて

  彼我の戦闘能力の差を知らしめられた。

   要は大正生まれの戦争先導者は、実力を過信し、大局観に欠けていた。戦線の拡大は全戦力を矮小化していることを、知ろうともし

  なかった。大正生れのひ弱さ、甘さが日本を敗戦へと導いた。特に台湾を失ったことは、東シナ海の支配上大きな損鉥であった。

⑥ 以上大正世代の軍部の問題を述べたが、戦後経済0の日本を、10年足らずで高度成長に誘いたのも、また大正生まれの中央官庁の

  エリート層で、その功績は賞賛されるべきであろ。