京・北山の岩屋不動ー志明院
気候も良くなったので、今回は遠出して北山まで足を延ばそう。一度は是非訪れたい京の秘境のお寺です。
足場が遠いので、京阪出町柳からのバスで向かいます。上賀茂神社の賀茂川を遡り上流にむかう事 1時間。雲ケ畑岩屋橋が終点です。道は二つに分かれていて、右手の小川がやや広い河原の畔を流れていて、これが賀茂川の源流です。最上流にわらびの原生畑
があり、その奥を急登すると桟敷が岳に登れます。標高896m。頂上は平たくて、弁当を広げるによい所です。そういえば明治時代、京の御隠居たちが、酒肴を携えて、桟敷山にホトトギスの初音を聞きに登ったと伝えられています。
一方、バス終点の道を左に30~40分登ると岩屋不動志明院に着きます。岩屋山中腹にあり、古くから修験者行場の地として有名。
平安の昔、人々は人間の生霊・死霊が、恨みを持った人間に祟り、病気や死を招くと考えられていた。即ち物の怪-もののけーである。物の怪は目に見えない姿で、闇夜に跳躍すると考えられていたが、明治になって電燈が普及し、京の夜も明るくなったので、物の怪たちは京の北山に逃れ、さらに追い詰められてこの岩屋山に集まったという。―南禅寺派管長 中村老師ーの話。
この岩屋山は桟敷が岳から南下した山脈が途絶え,崖となって崩れ落ちていて、湿気多く、闇夜には物の怪の動き出しそうな所である。修験者が呪文を唱えて印を結ぶと、鬼火が現れるという。―司馬遼太郎『街道を往く』 洛北諸道より。なお司馬遼太郎の処女作「梟の城」959-は、この山門下の志明院で書かれている。
更にここが歌舞伎「鳴神」の舞台として有名である。陽成天皇の時、三か月も雨が降らず、それは北山の志明院の鳴神上人の仕業とされた。上人は后が皇子を生むように帝から頼まれ、成功した恩賞に、新たに僧の資格を与える戒壇を三井寺に造るよう懇請したが、果たされず、恨みに思った上人は、雷神を北山の滝壺に閉じ込めたので、京に何日も雨が降らなかった。
そこで考えられたのが,美しい女性を上人に近づけ、色気を持って上人の呪を解き、雷神を滝から救い出すことで、雲の絶間姫を選び、
上人の許に赴かせた。喜んだ上人が壇上から滑った時、雲の絶間姫が介抱し口移しに水を飲ませると、上人が姫の乳をさわり、姫は結婚を約束する。結婚準備のため二人の弟子を都に遣った隙に、二人は酒を飲み交わすが、姫の盃に蛇の姿が映ったので聞きただすと、雷神を取り込めた滝に貼った注連縄であると打ち明けられ、上人が酔って寝ている間に、姫は滝の注連縄を切ってしまうと、雷神が解き放されて雨が激しく降り、姫は急いで山を降りる。
こけは歌舞伎では「雷神不動北山桜」となり、団十郎の歌舞伎十八番の一つになって、人気の高い歌舞伎である。私は市川海老蔵が鳴神を博多座で演ずると聞いて博多まで見に行った。また大阪でも演ぜられたが、博多座の迫力のある見事な演技は今でも忘れられない。
山門の 小野道風の扁額 志明院の楼門
飛竜の滝 歌舞伎 鳴神の舞台



