コンビニ人生 | 閑話休題

コンビニ人生

 何かこのような本が出たが、読む気にもならないのでまだ読んでいない。

 今は買い物も便利になったコンビニだが、店に入ると定格化された、乾いた現代生活者が目に見えて来る。要は人生の潤いがないのである。ただ一回限りの人生を、安易に、安直に暮して行こうとする人たちの、コンビニでの買い物生活者は最低に見えて来る。

 自分で食事を作るのを煩わしく思う人は、好い人生を送れない。バランスのとれた毎日の食事こそが生命の泉なのである。それに季節の旬のものを、味付けや、盛り付けに工夫を凝らした料理は、人間の頭脳を活性化し、作る人を長生きさせる秘訣である。それにお相伴に預かる家族も大喜びで、家庭の「和」の最も基礎的なものは、毎日の食事である。

 

 なぜこのような世になったのだろう。昔は庭には洗濯物が翻り、夕食時はおいしそうなにおいが家から流れて来る。お母さんは大忙しの毎日であった。 子供も家庭の仕事を手伝って元気だった。ところが今では学校から帰ると塾通いで、夕食も家庭の味がない、コンビニ弁当で済ましてしまうのもいる。

 このように都会で育った子供は、勉学に秀でていても、人間に潤いを齎す情緒の面で、緑の里山の森や川を遊び場にする田舎の子供にはかなわない。情緒のない人間は虫けらと同じだ!―梅崎春生『桜島』

 人間は医学・理化学・数学の分野以外で、いくら学問に優れても、世の中に出ては出世をする人と、出来ない人に分れる。「高校三年生」という歌があるが、その同窓会は10回とは長続きをしない。10年後には課長職が次々輩出して、乗り遅れた者は同窓会に欠席する。生存競争である。世に立つには頭だけではないからである。人に頼りにされる人格は、幼少年期の生活環境に形成されるのではなかろうか。それは大都会の人間の坩堝での中で育つのではなく、山や川の里山のある自然の中に育つのが最高である。

 

 私生児として生まれたレオナルド・ダヴィンチは、小学校にもやられず、ひとり山に登って、自然の中で素晴らしい情緒や感性を磨き、素晴らしい作品を残した。

 コンクリ―ト・ジャングルで育ち、子供の時から塾通い、大学生になったらアルバイトの金で遊ぶような人間は、社会と生活の中で次第に矯正されては行くが、それについていけない人間は落ちこぼれて行く。

 また情緒に欠けた者は、社長・頭取・事務次官などの栄誉を極め、世間的評価を得ても、最後晩節を汚す人が少なくない。人間としての基礎体質が、若い頃に情緒的に形成されていないからである。それはあくまで都会ではなく、田舎の環境の中に育つ。

 大都会の下層にくすぶるよりは、田舎の自然の与える豊かな情緒と、豊かな食べ物の恵みに感謝する先祖返りを果たし、2世、3世の次世代に夢を託すべきである。

 何ぞ今日故郷に帰らざる!。