室生犀星
婚外婚の非嫡子は、遊郭や料亭で芸者や遊女が生まれてから多くなる。明治大正の詩人で、小説家の室生犀星もその一人で、金沢のある小学校校長と、金沢芸者との間に生まれた。
幼いころは金沢市の犀川に沿う雨宝院に預けられ育ったが、出生の苦悩が幼いころから付きまとっていたようである。金沢の高等小学校を中退して、裁判所の給仕になり、文才があり地方新聞に投稿、採用もされている。明治43年に東京に出て、北原白秋に見いだされ、文士たちとも交流、文壇人として次第に頭角を現す。彼の書いた小説が各種の「文学賞」を得ている。
その中で人々に愛された『抒情小曲集』は私も愛読した。その中の有名な一篇。
ふるさとは遠きにありて思うもの
そして悲しくうたうもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆうぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかえらばや
遠きみやこにかえらばや
彼は金沢には帰郷しなかった。彼の出生の秘密を知る人が多かったからである。彼が50
歳の時に詠んだ
「夏の日の匹婦の腹に生まれけり」
の句に表された本心が、彼の生涯の苦悩であった。