11月13日、母が他界しました。
79年の人生でした。

10月12日に総合病院を受診し、翌日担当の先生から1ヶ月の余命宣告を受けました。
膵臓癌でした。


コロナで面会出来ないことに加え、治療も体力的にままならない、主治医の先生からは電話で何度も現状説明や報告をしていただき、その中での助言で在宅医療に踏み切りました。

東京から息子を呼び戻し(本人が帰りたいと言ってくれた)総合病院の主治医の先生、担当看護師さん、ケアマネージャーさん、退院後の主治医の先生、看護師さん、ケアマネージャーさんなどと現状の報告、これからの対応について会議を行い、入院から17日後に退院。


元気になると信じて自宅へ戻ってきた母でしたが、退院後2週間で逝ってしまいました。


片時も目が離せない2週間でしたが、私と兄と息子の3人で交代しながら過ごしました。

何度も「ありがとう」と私たちに言う母を何も出来なくてごめんね、もっと幸せにしてあげられなくてごめんねと心の中で何度も何度も謝りました。


かけがえのない2週間でした。


最後はもう目も開けられない状態でしたが、亡くなる少し前、しっかり目を開けて私たちにお別れを告げました。

お通夜、葬儀は家族だけで執り行いました。
派手なことや目立つことが苦手だった母らしい式になりました。

息子が膝から崩れ落ちるように泣き続け、私も母を呼びながら人生でこんなに泣くことはもうないかもというくらい泣きました。

葬儀場のスタッフの方がこんなにも全員に号泣される人なんて滅多にいませんと言われるくらい泣きました。

喪主を務めた私は火葬場でのスイッチを押す時、もうそこには悲しみよりも「ありがとう」の気持ちでいっぱいになっていました。

今年7月にリリースしたベストアルバムを一日中聴いて、喜んでくれていた母に、CDを持たせました。

病気で食べられなかったもの、食べたいといっていたもの、大好きだったもの、そして寒いといけないからコートやカイロ、息子は手紙を忍ばせていました。


たくさんの愛情を本当にありがとう。
大切に育ててくれてありがとう。
お母さんの娘で生まれてきて本当によかった。
本当に本当にありがとう。

お母さん、天国でどうか休んでください。
そしていつかまた、会おうね。

また、この場を借りて入院先の先生、看護師さん、退院後の往診をしてくださった先生、毎朝、夕方に訪問してくださった看護師さん、皆さんの献身的な対応に心から感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。




お母さん。
お母さん本当に本当にありがとう。


森川美穂