おはようございます。
というか、もう11時ですね。
昨日の夜は、延岡西高校の同窓会でした。
18歳で卒業して以来、初めて参加しました。36年ぶりです。
女子が極端に少なったです。
さて、引き続き読書の話です。
『読書のすすめ』という本屋さんで知った『死ぬ前に後悔しない読書術』は
かなり強烈に毒づいていて面白かったです。
著者は哲学者の適菜収(てきなおさむ)氏です。
たとえば、こんな感じです。(序文より)
「一体何のために人は本を読むのか。
情報を得るため? それは子どもだってやっている。
子どもはそれでいいが、大人がそれだとまずい」
どうやら読書には「子どもの読書」と「大人の読書」があるみたいです。
「世の中には取り返しのつかない人が存在する。
一方的に愚痴をこぼしたり、自慢話をはじめたり、いきなりキレたりする」
歴史や社会や人間に対する理解も浅い。彼らは無知とは限らない。膨大な知識を持つ知識人であったりする」
「なぜ人間は取り返しのつかないことになってしまうのか。
それは読書に対する姿勢が大きく関わっている。
彼らに共通すのは子どもの読書を大人になっても続けていることだ」
第一章の「とりかえしのつかない人」の中ではこういう表現もあります。
「本を読んでいない奴は、ほとんどが薄っぺらい。
じゃあ、本を読んでいない奴は全員ダメなのか?
全員ダメです」
こういう毒づき方は、好きです。
序文に戻ります。
「結婚相手だって本を読まない人間はダメです。
たとえ目と鼻と口が付いていたとしても生物としてヒトなのであって、人間とは呼べません。
なぜなら本書で示すように、読書は人間であることを前提条件であるからです」
すごいですね。ここまで言うか、です。
「子どもの読書を卒業し、大人の読書を始めることで世界自体が変化する。
実際に見えてくるものが違う。
読むべき本を読めば人生は確実に変わります」
「大人の読書」とは何か?
『読すめ』の清水店長がいつも言っている「縦糸の読書」でしょうね。
社会が変わっても、時間が流れても、読み継がれている本。
自分も例外にもれず、歴史や社会や人間に対する理解も浅い人間です。
本を読むと、つくづくそのことを痛感します。
「大人の読書」を心掛けたいものです。