今年のお盆休みも、もう終わりになりますね。
日々、危険な暑さを肌で感じています。
20年前とはずいぶん違う暑い国になりました💦
お盆の恒例ですが、今年も叔母が来て
我が家のお仏壇にお線香をあげてくれました。
父の妹にあたる方なので
父方のルーツについて話を聞くことができました。
やっぱり、同じ記憶を共有して語れる存在
兄弟というものは良いですね。
父方の祖母は関東大震災の時には7歳だったこと。
その頃は本所界隈に住んでいた幼い頃の祖母は
震災の時はひとりで行動していたこと。
もし、当時多くの方々が家財道具と共に
避難してきていた被服廠へ逃げていたら
おそらくそのまま命を落としていたでしょう。
(ヒフクショウ、と聞いてすぐスマホに聞きました)
数えで99まで生きた祖母は結婚までは
浅草松屋に勤務していたのですが
松屋に就職する前には日本橋の百貨店、白木屋を
希望していたとのことで。
結局は、白木屋に決まらず松屋へ就職して
同じ松屋に勤務していた祖父と知り合い
結婚するに至るのです。
第一希望通りに白木屋に就職していたら
その年の12月に発生した白木屋の大火に
遭遇していたかも…と、聴きました。
背筋が冷える話でした。
ひとつ、選ぶ道が違ったら
今のわたしはいないのです。
今年80になるわたしの父は
東京大空襲のときの真っ赤な空の様子を
ありありと覚えているそうです。
リュックを背負って、東京から叔父と共に
食糧を求めて電車で出掛けたこと。
松の木についた何かの幼虫をフライパンで
炒って食べた話。
(松の香りがして、まずくはなかったらしい)
そして、多くの身内が戦中戦後の大変な時期に
戦地で、また病気で命を落としていくのを
子ども心にも残しています。
戦後75年という長い時間が経ちましたが
戦争の記憶、戦後の記憶は直接知っているひとが
減っていく一方です。
ただ必死で今の日本を作ってきてくれた
先人の方々の想いや願いを、改めて思い返し
これからの子どもたちに手渡していきたいものです。
今の大人である私たちがまずは平和の大切さ
そして、自由に道を選び暮らすことの
できるありがたさを充分感じていくこと。
大雨、日照り、そして疫病…
これ、少し前だったら間違いなく飢饉です。
今の暮らしに当たり前は、ありません。
手元にある豊かさに心から感謝できることが
結局は自分自身の豊かさにつながるのかな、と。
生きていくだけで、精いっぱいだった時代は
ついこないだまで身近にあったのだ、と
そう思った2020年のお盆でした✨