下北交通大畑線
第3回
探索日 2024.11.03
公開日 2026.02.11
所在地 青森県むつ市
対岸からの景色
2024/11/03 07:28 《現在地》
下北側からの渡河を諦め、ぐるっと国道279号線を通って対岸へとやってきた。
流れの小さな水面にはその姿が映し出されている。
おそらく開業から架け替えられていないであろう橋は今年で86年を迎える。
第一・三径間を緑に覆われながらもここに歴史があったことを伝える者としての定めを全うしているのかもしれない。
そしてこの橋の異質さは橋脚にある。
左右で形状が違うのだ。
下北側である左が円柱型で以前探索した大間線の焼山川橋梁とよく似た橋脚、田名部側である右が細長い楕円形となっているのだ。
一般的に同じ橋の橋脚は建築基準が統一されるのがセオリーだ。
それをなぜわざわざ破ってまでこの形状にしたのかは不明だ。
一つ気になる点は田名部側の橋桁が他と比べると新しく見える点だ。
仮説として過去に第三径間のみ架け替えが行われ、その際にP2となる田名部側の橋脚も改修したとする説だがそれを確かめる術はなかった。
橋台の裏側に回り込む。
橋台は下北側と形状に変わりはないようだが、こちらのほうが緑が少なく見やすい。
私が今立っている場所もかつては築堤があったのだろうが、廃線後に川沿いの小道を整備するために切り取られたのだろう。
この姿は廃線ならではの光景だった。
側面に回り込むと朽ち果てた銘板がかろうじて残っていた。
錆による極度の膨張により、その字を読み解くことはできなかった。
状態からしてかなり古いのだろうが、それがどのくらい古いのかは今のところはわかっていない。
とりあえず乗ってみた。
下北側よりかは格段に歩きやすいが、この写真見て気づいた方もいるのではないだろうか。
そう。明らかに傾いている。
ただしこれは設計の問題や老朽化によるものではない。
むしろこの設計でなければ確実に大問題になっていたと思う。
ここは私が今まで見てきた林鉄のものとは違うのだ。
どちらもありきたりなプレートガーター橋であるが、左が大畑線、右が伊尾木林鉄のものである。
サイズは軌間が異なるので違っているがどちらもカーブを備えている。林鉄は奥の方にカーブが見える。
大畑線は4°程の傾きがあるのに対し、林鉄にはその傾きが見受けられない。
正確には無いとは言えないがほぼ水平になっている。
理由は車体の規模と速度の違いだろう。
一般客を乗せる鉄路は安全のための設備が多い。
この傾きも車両が川に落ちないための設計なのだろう。
ただその傾きがあだとなり足場はなかなか安定しない。
ただでさえ歩けるのが金網かガーターの平均台かの二択なのに枕木が強度的不安を与えており、今の私のスキルでは渡るのは不可能だった。
ここはおとなしく撤退します。
ということでとりあえず下に潜ってみた。
あんまい
いったいどういう意味なのだろうか。
まあこれほど町中にある廃構造物は不良たちにとって格好の遊び場なのだろう。
それにしては落書きは少ないほうだ。
そしてなぜか廃線遺構にはS〇Xがよく書かれているがここには無くて好印象である。
一通り廃橋を堪能し田名部川橋梁の探索を終えた。
ここで一度線路は現道と離れ、街の中へと潜る。
ワープ!
街中の廃線遺構と田名部駅跡
2024/11/03 07:52 《現在地》
田名部川を渡った大畑線は進路を中心街へと変え、田名部駅を目指して国道338号線を跨ぐ。
さっそく廃線跡が目に入った。
周りに家が立ち並ぶ中、廃線跡は緑の線を残していた。
下北駅前からここまでにかけて橋以外のほとんどの設備が撤去されていたが、ここにはなんとおそらく信号の類であるものが設置されたままだった。
こういったものが廃線跡に残っているのは珍しい。
普通はレールとともに早急に撤去される建造物である。
大畑線ではこの後もたびたびこの設備が残されていた。
田名部側もこのように線路敷きのみがここが廃線跡だと主張している。
今でも土地の所有者は下北交通なのだろうか。
街がこの一筋を避けて作られていた。
この道をまっすぐ進むと大畑線三つ目の駅である田名部駅が現れる。
ここまでにすでに海老川駅があったが、市道に飲み込まれておりその形跡はまったくなかった。
それではかつてむつ市田名部の中心地として発展を支えた田名部駅に入る。
え?
と思った方も多いだろう。
どこが駅なのかって?
それは右奥の真新しい建物が立っている場所である。いや、場所であった。
令和3年にむつ市が市内に分散し、老朽化した市営団地を一か所にまとめ効率化を図ることを目的として田名部駅跡に「田名部まちなか住宅」の建設が行われた。
建設の際に、それまで残っていた田名部駅のホームは完全撤去され、今では多くの人が住む団地の基礎となっている。
かつてはこのような下北交通の会社カラーである赤を基調とした独特な風貌の駅舎が建っていた。
この建物は大畑線廃線後むつ労働福祉会館として使われたが、老朽化により早期に撤去されたそうだ。
それでも令和3年までは2面2線の相対式ホームが残っていた。
現在も残る唯一の遺構はこのJRバス田名部駅だけだ。
この建物は国鉄時代の名残で現在も待合室として使われている。
かつての国鉄バスが今でもこの地を駅として扱っており、田名部駅という名称はいまだ受け継がれているようだ。
一応裏も確認したがそれらしい遺構はまったくなかった。
次回は田名部駅以降の廃線跡を歩く。
つづく。