もりぐちです。


表題の件、確認しました。

私は私であるということについて、独自の理解を行いました。


それは、判断のない世界ということです。



判断が無いとは、あるがままに事象を受け入れるということです。


良い、悪い。
そう言った善悪のフィルターを無くしてしまうということです。


例えば

バスの運転手が、乗車券の整理券をずらしてしまっていたとアナウンスしたとします。
本来5番だったものが4番のままになっていた。一駅分運賃が高くなる為、降りる際に声をかけて下さいと言っています。


ここで、ネガティヴに考えると

あー。
めんどくせ!
間違えんなや!!
急いでんのに降りるとき混むやないか!



さて、ポジティブに考えると?

あー。
アナウンスしてくれてよかった。
運転手さん気づかんだらこっちも気がつかんで多く払ってたわ。ツイテルわ〜!



こんな感じかと思います。




ここで重要なことは、どちらも重み付けを行なっているということです。
起こった出来事について、良かったか悪かったかを判断しようとしています。



判断せずに、あるがままの事象を受け入れるという事は、この場合。


あー。
そうなんだー。
4番が5番になるんだー。
へー。




という事ではないかと。

ともすれば、無関心と思われそうな状態です。

いや、もしかしたら

無関心なのかもしれないですね。




どうでも良いことって、いちいち腹を立てたり、喜んだりしないですもんね。




少し、色んなことに
関心を持ちすぎているのかもしれません。


私は私であり
ただ存在しているという事を


もっと味わっても良いのかもしれません。