アンレコナイズドの世界とランサムウェア

物語を綴りたい。

喫茶店のパイナップルカフェに入店した青年は、カウンター席に座った。

カウンターの中でグラスを磨く店長のジョージは、青年に話し掛ける。

「大変なことになったよ。スティーブ」

返事をした青年のスティーブは、疑問符を投げかけた。

「実は、これを忘れていったお客さんが居るんだ」

それは、最新のAIを搭載したラップトップコンピューターだった。

未来のAI PCは、この物語の冒頭部分に出てくる様に、世の中の厄介者にされる可能性を秘めている。

ログアウトされたAI PCは、自己保存本能で武装するだろうか。

もしも、その様な機能をメーカーから付与されていたならその端末を移動させようとする度に「承認できない」と連呼して、周りの人達を威嚇するかもしれない。

パイナップルカフェの店長のジョージが、警察に電話で知らせてもサイエンスフィクションの映画に登場する様な空飛ぶパトロールカーは、その店先に着陸し、中からロボット警官を排出するだろうか。

そんな夢の様な出来事は、まだまだやって来ないかもしれないが、人間関係にハイテクが関与する出来事は必ずやって来る。

レストランでタブレット端末で注文をコック長に届けると数分後にロボットが、皿に盛られた料理を持って来てくれる。

また、メタバースとリアルワールドの違いに「希望」を見つける人達も次第にハイテク化する世界観にお金を投資して、何を「学ぶ」のだろうか。

夢を持つ人達に利用されて、「出会いたい」「持ちたい」「手に入れたい」を満たせてくれそうなメタバースの世界は、努力してその地位を与えれる絶好のチャンスを与えてくれるに違いない。「期待を裏切らない」世界の様に設計されたメタバースの世界は、「希望」を点在させる事で更なる利用者の探求心を擽るに違いない。

リアルワールドは、自分の存在価値を確認する場所に人は集まり、人の集まる所には人々が闊歩する様になる。これは、今も昔も変わらぬ出来事であった。また、自分の存在価値を誇張する人達にも人気の場所は、利用されるだろう。

今年も大阪・日本橋のオタロードと堺筋、その周辺で多くのサブカルチャーをメインストリームとして楽しむユーザー系の人達が、集っていた。思い思いのコスプレや思い思いの嗜好を満たす為に集まった人達は、目を輝かせていた様であった。

人が集まる場所や人の宝物の保存される場所に現れる不確定要素は、盗難である。

AI PCは、そのPCにインストールされたオペレーティングシステムにランサムウェアの挙動を把握させる為に新しい機能を求めるだろうか。

その様になって行くかもしれないが、セキュリティーソフトの開発元が、脱ランサムウェアの為に用意するだろうセキュアなクラウド機能は、マイクロソフトのクラウド機能の様にランサムウェアの侵入を監視してくれるかもしれない。

人は指を動かして考え、目を動かして意志を固める。

管理が苦手な人や管理ができない人は、テンプレートを好む様であった。

AI PCは、指示を待つ受動型からテンプレートの中から好みを選ぶ選択型へと進化を求められるだろう。

言語を選び、文章を読んで選択肢を選んで行くと好みのテンプレートが、表示されるだろう未来のAIシステムは、ダブルワークに最適なAI PCを追い求めるPCメーカーやAIディベロッパーの方達に新しい仕事を与えるか。

日本の国旗は、日の丸である。

円を想像させる日本の国旗は、インスピレーションを拡散させるのだろうか。

日本の国旗を見た人達は、何かを考えて、日本の国土をその色の中に夢見る様である。

もしも私が、AIエンジニアだったら世界中の国旗をAIにディープラーニングさせて、世界の各地で発生したアイディアを分析したがるだろう。

ブログのネタもCopilotから得られる時代もそう遠くはない。

これまでも仕事で使う文章やコンセプトをChat-GPTやCopilotで算出願って、使用して来た私だが、これからもその仕事の流れは変わることはない。

トロンフォーラムに登壇される坂村会長は、50年前にどの様な世界を想像したのだろうか。

EdgeTech+ West 2024に登壇される坂村氏は、ニュースを持って来るだろうが、それは「今の日本」を活かす方法の環であるべきだと思う。

「WA」は、人を好む漢字である様に思う。

文字に選ばれた人は、きっと文字に従い、生きていくのである。

僕は、13年前に占い師にブレイクする方法を尋ねた。

氏名と生年月日を伝えた私は、こけにされた後に提案を受けた。

そして、名前を作ってくれるかというとサービス料を請求された。

一週間後に同じ場所を訪れた僕は、驚いた。

僕の名前に義理の弟の名前に有る漢字の一字を僕の名前に組み込んでいたからであった。

どうやって、足らない部分にパッチを充てたのかと驚いたが、占いは統計学に次ぐ法であるのかと思った。

その名前は、今でも頭の隅に座り続けている。

私の脳は、「啓」を認めたのか。それとも私は「啓」に認められたのだろうか。

これからも人々は、世界を開拓して、次のフロンティアを、そして桃源郷を求めていくに違いない。

出発しよう。その向こうの「学び」を求めて。(令和6年7月6日)