母から、きものが送られてきた。
解き洗い+八掛の取替え+仕立て直しを頼んでおいたものや、母のおさがりのきものやコート、新しい単衣のきものも一枚。合わせて十枚足らず。
仕事を中断して電話し、開口一番。
「あの中で、何が一番気にいったと思う?」(x_x)☆\(-_-メ)バキ
母は、「さぁ? 新しい単衣?」とか言う。
「ちがう、あのローズ色の総絞りのコート」
とかなんとか言っちゃって、わたくし、上機嫌(;¬_¬)
次なる問題は、収納場所(--;;;
派手になったきものや帯を別に取り置き、送られてきたきものを普段使う箪笥にいれる。あっちの箪笥とこっちの箪笥の整理をする。をい!仕事は? ちょっと中断(x_x)☆\(-_-メ)バキ
普段はポリエステルでもいいか、と、秋はお気に入りのポリを着たりしたが、そんなことをしているヒマはない。せいぜい絹ものを着よう、と思った。
こうしてあれこれと絹に触れていると、ふんわりとした、華やいだ柔らかな気持ちになっている自分に気が付いた。
しばし、幸せ気分でいると、娘にきものを着てもらいたくなった。
ところで・・・・・・、
「開かれた保守主義」を基本理念とする安倍政権は、イメージ先行の保守主義だといわれている(読売新聞11月22日朝刊「揺れる保守主義」上)。
この間は、ノーベル文学賞受賞時の川端の講演タイトル「美しい日本の私」を連想させるような書名の本を出したようだが、政治に文学や美意識をからませる前に、政治は政治としてまず自立していただきたい、と切に願う次第である。
パソ前でこれを書き始めると、とたんにこういう思考になるのは何故なのか?(爆)
そんな次第で、わたしは、きものや文学や芸能においては日本の伝統保守主義であるよ、と思い、保守主義を標榜する現政治についてはノット支持だなぁ、と、改めて思ったのでした。
着物好き、古典好きが必ずしも政治的には保守派支持ではないのに、イメージ先行の政治家たちに「伝統」の名のもとに勝手にくくられるような気配があるのは、おおいに迷惑である、と思うのであった。
保守政権の支持者ではなく、きものや古典を興味深く思う奴(もとい、人)はゴマンといるのである(というほどでもないか? 私の友人知人にこういうタイプが多いのか?)。
たとえば、神道と政治が結びついた保守政治は好きではないが、巫女の赤い袴とか(爆 いや、けっこうマジ)、祝詞の言の葉とかですね、そういったものを好きだったり興味があったりするのは、全然ヘソ曲がりじゃない、ごくまっとうな思考だと本人は思っているんですが。