(6)


 カウンターの中から、アキノさんの奥さんを改めて眺めた。奥さんは、うつむいてケーキを食べている。ミゾグチさんが、そんなアキノさんの奥さんに、ためらいながら尋ねた。
「それで・・・、ご主人、浮気したりしなかった?」
「ええ、やってくれたわ。よくある話で、会社の女の子とね。女の子って言っても、もう三〇前だったらしいけど」


 アキノさんの奥さんの言葉ひとつひとつが、私の全身を沸騰させた。
 その女の子が、ここにいます。

 カウンターの中から出て行って、こう言ったら、奥さんはどんな顔をするかしら。
 切り口上でそう思ってから、私は腰を据えた。アキノという男が奥さんから見れば、どんな男だったのか。奥さんは、どんな人なのか。わずか二、三メートル離れたところで演じられる独白を、私は観客として聞く。面白いデキゴトではありませんか。


「それで、いつわかったの?」
「私が東京に帰ってきて、しばらくしたときにね」
「何か、きっかけがあって?」
「ある日、主人は携帯を忘れていって、私、メールを見ようとしたの。私が札幌にいるときよりこっちに帰ってきてからのほうが出張が増えたとか、私の中でもやもやしていたことがあって・・・。そしたら、暗証番号でなきゃ、読めないようになっていて。そんなの、誰だって怪しいと思うでしょ。その夜、カマを賭けたら、白状したわ」
「ご主人も、もう終わらせたいって思ってたのかもしれないわね」
「そうなんでしょ。洗いざらい言ったわ。それから、土下座して謝った。そういう主人の姿を見ると、かわいそうになって」


 アキノさんは、奥さんにも土下座して謝ったんだ。そう思うと、おかしかった。

 アキノさんは土下座が好きなんだ。私は二度、アキノさんに床に頭をこすりつけるようにして謝られた。私が中絶したときと、別れ話のときに。

「その女の人は、あっさりと?」
「意外にあっさり別れたみたい。遊びだったかもしれないしね」


 遊びなんかじゃなかった。アキノさんは、遊びなんかできない人だってこと、奥さんは知っていらっしゃるでしょう? 

 奥さんが東京へ戻ってくることが決まったとき、アキノさん、なんて言ったと思います?

 「僕と一緒に死んでほしい」って。

 そう言われたとき、私、醒めました。さっき、奥さん、おっしゃったでしょ。「主人は、やさしい自分に酔ってるところがあるのよ」って。私も同感です。

 アキノさんは、やさしい自分に酔って、寂しい自分に酔って、その酔いを私にも分け与えた。私も一度は酔ってみたかったんでしょう。それで、二人は酩酊して、ふらふらになったこともあったんです。二年間ぐらい、そんなときがありました。


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