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黒い洋服に身を包んだ中年女性が、店のドアを開けた。彼女の後ろには、もう一人、同年代の女性。二人とも喪服を着ている。この店から五分ほどのところに葬儀場があり、葬儀のあと立ち寄る参列者もいるので、喪服姿の客は比較的見慣れている。
午後二時すぎ、ランチの時間が一段落し、ティタイムにはまだ早いこの時間、ほかの客はいなかった。といっても、私の小さな店はそれほど流行っているわけではなく、この時間帯は客がいない日が結構ある。
店を開いて二年あまり。客の身なりや表情を一瞥するだけで、おおよその状況がわかるようになった。暇なときの客の会話は嫌でも私の耳に入ってくる。漏れ聞こえてくる客の人間模様は、私にいろんなことを教えてくれる。
私に喫茶店のオーナーとしての仕事を教えてくれたベテランの女性経営者は、客の状況が一目見てわかり、客の話が聞こえなくなったら一人前だと言っていた。
彼女らは親族の葬儀に参列したのでも、夫の仕事上のつきあいで葬儀に参列したのでもなく、たぶん友人の葬儀の帰りなんじゃないだろうか。亡くなるには早すぎる人を送った者のとまどいと、死者より長く生きているという安堵のようなものが、どことなく漂っている。
しかし、それだけではなかった。カウンター近くの一番奥まったテーブルを選んだ彼女たちには、そんなとまどいや安堵よりも、かすかな興奮がある。それは親族ではなく、ただ儀礼上の参列者でもない人たちがもつ雰囲気のようなものだ。彼女らは、かすかな興奮を鎮めてから家に帰るために、あるいは静かな興奮を共有するために、私の店に入ってきた。
オーダーが決まったのを見計らって彼女らのところに行く。
「コーヒーと、オレンジ・シフォンを」
「私は、紅茶とガトーショコラ」
コーヒーはホットでしょうか、と尋ねると、「ええ」とショートヘアの客が答えた。紅茶はミルクとレモンのどちらを、と尋ねたら、少し迷ってから「ミルクにしてください」と、髪の長いほうの客が答えた。
二人には、葬儀に参列した緊張感や沈痛さは、もうない。葬儀の帰りに喫茶店に立ち寄る客は、たいていそんなものだ。
たぶん、彼女たちは二人ともサラリーマンの妻。専業主婦か、それに近い人たちのようだった。ときおり連れ立ってランチしたり、お茶したりする。気に入れば、そして彼女らの住まいがそれほど遠くなければ、ランチを食べに来てくれる客筋のように見えた。