この間、オレと九里子サンは久しぶりに新宿で買物をした。九里子さんは大枚はたいて合格祝いにちゃんとしたスーツを買ってくれた。そういうところが、たくさん稼いでいるくせに一式二万円のスーツでいいという親爺と違う、この人の気前のいいとこ。

 なんの話だったっけ。そうだ、九里子サンの対応の違いだ。
 買物の後、容子と待ち合わせの時間まで、ほんの少し時間があって、オレたちは喫茶店に入った。そのとき、オレ、聞いてみたんだ。
「お父さんと、どうなの?」
「ダメ!」
「全然ダメ?」
「全然ダメ!」
「どうして?」
「私が家を出たいと言ったら、『何をしていてもいいから、三年はいてくれ』って言ったわ。『何をしていてもいいから』って、妻に対してそんな言い方ってある? 私の心はどうなるの?」
 九里子サンはムキになって言った。このとき、九里子サンはムキになるあまり、ひとつ、ふたつポカをやった。

 まず、オレは九里子サンの息子でもあるが、孝一サンの息子でもあるということ。九里子サンと孝一サンが合わないのはオレにもわかる。どうしてこんな正反対の二人が夫婦として長い間暮らせたのか、オレはそれが不思議なくらいだ。九里子サンは切れば赤い血が出る人だ。切らなくても赤い血がたぎってる人だ。孝一サンは決して血を出さない人だ。用心深く刃物を使う人、それとも刃物には近寄らない人、そんな感じ。
 金銭感覚も違う。地味と派手。おだやかな保守とにぎやかな革新。それくらい二人の気質は違う。

 だけど、何度も言うようだけど、オレは孝一サンの息子でもあるんだ。だから、孝一サンの気持ちもわかるような気がするんだ。表現は下手だし不器用な人だけど、孝一サンは孝一サンなりに九里子サンのことを愛しているんだよ。本当に。九里子サンに家に居てもらいたかったんだよ。オレや容子のことももちろんあるけど、それだけじゃないってこと、九里子サンも本当はわかってるんだろ。

 そんなオレの気持ちは言葉にならず、なんだか気まずくなって、その話はそれでおしまいになった。オレは、もっとちゃんと話を聞くべきだったろうか。このままその話題が続いたら、九里子サンは孝一サンの両親、つまりオレのじいちゃん、ばあちゃんのことを言ったろうか。それとももっと決定的ななにかを言いそうな気がして、オレは不快な表情をすることで、その話題を終わりにしたのだろうか。

 ふたつめ。「何をしていてもいいから」と孝一サンが言い、それに対して九里子サンが「私の心はどうなるの?」と思ったってことは、九里子サンには男がいるってことじゃないだろうか。たぶん当たっているだろう。その他いろいろを類推憶測邪推したら、ここに落ちつく。子どものカンってのは鋭いよ、九里子サン。

 一方ではこんな偉そうなことを言いながら、一方では聞くのが恐い。なんだか、オレ、親父と似てるかもしれない。
 九里子サンは一生懸命オレを育てた。ときおり一生懸命になりすぎるキライがあったけど、オレは愛されて育ててもらったと思ってる。そいでもって、九里子サンの子育ては途中から方針変更があった。途中から、「父親よりイイ男になれ」って、オレを育てた。中学生になったころから、オレはびんびんそれを感じていた。

 九里子サンのイイ男の条件は、相手の気持ちをわかろうと努力する男、つまりちゃんと人を愛せることなんじゃないかと思ってる。だから、親父の恋愛歴について尋ねてみたわけ。そんな話から、九里子サンが家を出た理由が、ぽろっとあのときのようにこぼれないとも限らないし。


ポチっと押して応援してくださいませ。人気ブログランキングへ