【3学期】 3月6日

森下和江・比留間カツ子・その他委員6名

PTA室で、比留間カツ子と森下和江がにらみあっていた。
坂口裕子や城川晴美たち6名の文化委員を観客にして、2人はハッケヨイと行司の声がかかったように、同時に椅子をガタンと音をさせて立ち上がった。
「もう1回、聞かせてもらおかね」
「おわかりにならなければ、何回でも申し上げるほかありません」
「なんで講師さんの絵葉書ば、売られんと?」
「それは校長先生がお許しにならないだろうと、判断したからです」
「なんで校長先生が許さんと、勝手に思うとね」
「比留間さんには、申し上げてもわかりませんっ」
「わかるかわからんか、今ここで言うてみらんねっ」
「PTAには、皆さんの前で言えることと言えないことがあるんです」
「隠れてこそこそやって、何ね、あんたは」

森下和江は、勝本清一を思い浮かべてする夜の儀式を咎められたような気がして、カッと頭に血が上った。
「隠れて、隠れて――隠れて、するしか、ないじゃありませんか。あんなこと」
森下和江は自分の失言に気づいてハッとし、あわてて椅子に座った。
「落ち着いて話しましょう。比留間さん」
落ち着いてないのはどっちじゃいと思いながら、比留間カツ子は椅子に座った。
その他6名は、仕切り直しになったことを大変残念に思った。

「では、お話いたしましょう。そもそもPTAは、学校と両輪の輪で子どもたちのためによりよい教育環境を作っていく組織です。したがってPTAは学校とのよい関係を常に心がけながら、活動していくことが最重要事項となるんですね。おわかりいただけますか」
こんなときにも理路整然と話せる私はなんと知的な人間かと、森下和江は大変満足した。
坂口裕子は、森下和江の口調があまりに会長に似ていたので、2人ができているのは間違いないと、深くうなずいた。
坂口裕子がうなずいたので、森下和江は自分の頭のよさにいっそう満足した。
「ですから、学校との交渉には慎重を期さなければなりません。私が皆さんのお書きになった記事について、いろいろと申し上げたのもそのためです。私としても、皆さんが一生懸命書いてくださったお原稿のことを、あれこれ申し上げるのは本当につらいことでした」
会長さん、いえ勝本さん。あなたがおっしゃったことを、私は今、実行しています。詫びるふりをするのは、誉めるふりをするより高等なテクニックがいること。でも、リーダーシップのある私にはできるのです。森下和江の瞳は、勝本清一のことを思い出してちょっと潤んだ。

「森下さん。話題ば変えんでほしかね。ウチは、なんで講師さんの申し出を受けられんと聞いとる。あの絵葉書は講師さんのおられる龍山東地区委員会が、五中の生徒さんの作品を絵葉書にしたもんたい。講師さんはタダで講演ばしてくれると。ウチは気持ちよう引き受けてくれた講師さんに、ほんなこつ感謝しとるばい」
「比留間さん、よろしいですか。あなたの発言の中に問題点がいくつかあります。まずひとつめは、その作品が五中の生徒さんのものだということです。五中の生徒さんの描いた絵葉書を六中で売れば、校長先生は気分を害されます」
「そげん気ぃ回さんで、よかろうもん。校長先生にわけを話してお願いすりゃよかやんね。なんなら、ウチがお願いに行ってもよか」
比留間さんがお願いに行く? この下品な言葉づかいで?
そんなことをしたら、せっかくこの1年かけて勝本さんと私が築いた学校との信頼関係が壊れてしまう、と森下和江は思った。
坂口裕子は思った。森下さんがそんなこと、させるわけなか。比留間さんが校長先生に直訴してそれが通ったら、委員長の面目が丸つぶれになるけん。

森下和江は大きく息を吸い、めんどりのように胸をそらして続けた。
「問題はほかにもあります。PTAの政治的中立という大切な問題です。比留間さんはご存知ないかもしれませんが、前回の市議会議員選挙に青少年育成龍山西地区委員会の会長が立候補されました。その折、西地区会長は二中の卒業式に自分の名入りの紅白饅頭を配りました。ご本人は全くご存知なかったんですが、当選後、市議会で取り上げられたりしたんです。ですから地域で活動される方を講師としてお招きするときは、慎重のうえにも慎重を期した方がいいんです」
森下和江は、微妙な問題について注意深く言葉を選んで話せたことにほっとした。
城川晴美は夫の従姉妹の舅の従兄弟のことが突然話題になったので驚き、今夜、主人に話そうと思った。
「今は選挙期間やなかと。それに紅白饅頭を配るわけじゃなか。絵葉書ば売るとたい。どげな関係があっと?」

観客はどちらの意見にも一理あるような気がして、2人を交互に眺めた。
森下和江は、この微妙な政治的問題を魚屋に話しても無駄だったと思い、比留間カツ子の鈍感さに大変腹を立てた。
「それほどお売りになりたいのなら、ご自分が売ればいいじゃないですか」
比留間カツ子は、むかっとして、いっちょ、この世間知らずに浮世の義理を教えてやらねば、と思った。
「森下さん、あんた、仁義ちゅうもんば知らんとね。人にタダでものば頼んでから、自分たちは相手の言うこつは、なんも聞かんで。それで世の中が通ると思っとるとね」

おもしろくなりそうだ、と委員6名はワクワクした。1年間、委員長にウダウダ言われ続けながら、文化委員をやった甲斐があるというものだとその他大勢が思ったとき、期待に沿う反撃があった。
森下和江が、笑顔で言った。
「比留間さんは、その講師さんにえらくご執心ですわね。よほどいい方なんですね」

坂口裕子は、魚屋の比留間さんとその講師との間に何かあったんだ、と思った。その他の委員は、委員長の嫌味な笑顔に見とれた。
「森下さんは講師さんに会うたこと、なかとね。うちの店によう買い物に来て気安う物ば言うてくるる、よか人よ」
森下和江は、ふふん、と笑った。
「公私混同も甚だしいですね、比留間さん。講師さんがお得意さんで比留間さんに義理がおありになるなら、今度はあなたが個人的にその絵葉書を売ってさしあげればいいんです。さきほどから私が提案していますように」
比留間カツ子はブチっと切れた。ガタンと椅子から立ち上がった。
森下和子は、一瞬、身体をのけぞらせた。
6名は、やっとはじまりそうだとワクワクした。

「そげんことで、ウチが絵葉書ば売りたいと言うとると、あんたは、ほんなこつ、思うとかと? タダで講師さんに来てもらわんといかんような金の使い方したのは、誰ね。その尻ぬぐいをウチにさせたのは、誰ね。その上、まだウチに絵葉書ば売れとか」
その他大勢は、比留間カツ子の言うことはもっともだと思った。
「公私混同はあんたのことじゃ。PTA総会で会長の本を入口に積み上げてウチらに売らせたつは、あんたやろうもん。あれは、会長個人の本ばい。PTAに何の関係があるとね。その本ば売った金はどこに入るとたい。会長の懐やろうもん。それが公私混同ち、言うとね」
森下和江は超あせった。
「私が・・・、私が言ったんじゃありません。勝本さんが、会長さんが絵葉書を売ってはいけないと。私は、皆さんに伝えただけです」
森下和江はおろおろと言った。
そうよ、勝本さんが悪いのよ。勝本が悪いんだわ。この間だって、この間だって、私に恥をかかせて。そうよ、勝本が悪いのよ!
「そうよっ、勝本が悪いのよっ! 自分のくだらないエッセイ集をできるだけ沢山の人に読んでもらいたいと言って、136冊も売らせておきながら。恥知らず、恩知らずよ、勝本は。私は悪くない、悪くないわ。私は、私は、ただ……」

森下和江は、ヨヨヨヨヨッと机の上に泣き伏した。
坂口裕子は委員長は悪くない、悪いのはPTA会長の勝本であると思った。
城川晴美は、受験生を持ちながら奮闘した森下さんが委員会で泣き出したのを気の毒に思い、森下和江の肩をそっと抱いた。
森下和江は心地よくすすり泣き続けた。
やがて、PTA室いっぱいに女同士の暖かくやさしい連帯感が広がった。

なんね、この人ら。
泣いたら、よかとか。
泣いたら、なんでん許すとね。
あほらしかぁ。
あほらしやの鐘が鳴るたい。

森下和江のすすり泣きを背に、比留間カツ子はPTA室のドアを後ろ手にぴしゃんと閉めた。
廊下の向こうには広い運動場があり、道路を隔てた先に玄界灘が見えた。
比留間カツ子は、晴れ晴れと大きな深呼吸をひとつした。

こいで、明日から商売に精が出せる。
ウチは鯛や平目や明太子の気持ちが、ほんのこつようわかるけん。 

            
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