発行順に3冊、並べました。
共通のキーワードは
「負け犬と勝ち犬」または「負け組と勝ち組」
1『負け犬の遠吠え』(酒井順子著 2003/10発行)
2『結婚の条件』 (小倉千加子著 2003/11発行)
3『対岸の彼女』 (角田光代著 2004/11発行)
「勝ち」と言われた人も、「負け」と言われた人も、不快感を催すであろうこの言葉が、なぜ流行ったんだ? なぜ今も使われてるんだ?
そりゃ、マスコミのせいにするのは簡単だし、たぶんほとんどそうだと思うのだけど、その言葉が日常化してきてるような気がしてます。
1月23日、「対岸の彼女」の感想をここで書いたとき、「とも」さんがくれたコメントに、こうあった。
「これ紹介の仕方があちこちであるのだけれど、全然納得できないの。特に負け犬勝ち犬の切り取り方は」
それから、ずっと、気になっていた。
角田さんの言葉(下記に)を読んで、ああ、これは・・・と思った。しかし、「負け犬~」のほうを読んでいなかった。
2月18日、やっと「負け犬の遠吠え」を読んで書いた。
★ ★ ★
1「負け犬の遠吠え」 酒井順子著
個人的感情を敷衍した社会評論風エッセイ。
使っている単語は「負け犬」と「勝ち犬」。
「勝ち犬」の定義は、既婚者。
「負け犬」の定義は、30代以上の未婚者。
2 「結婚の条件」 小倉千加子著
わかりやすく書かれた社会評論。
使っている単語は「勝ち組」と「負け組」。
「勝ち組」の定義は、シロガネーゼに代表される労働の必要がない主婦
「負け組」は、既婚・未婚の別なくその他の女性
3「対岸の彼女」 角田光代著
広告に「勝ち犬」と「負け犬」という言葉も見受けられる小説。
私の読後感は、こちら
★ ★ ★
1「負け犬の遠吠え」について
「勝ち犬=主婦」に対する悪意が根底にあるとしか思えなかった。 ex.P31-35
元同級生のそのヒトコトに腹が立ったのなら、立ったといえばいいじゃないか。
そいつぁ、誰が見たっておかしい人だと思うが、その言葉を核に世の中の主婦をひとくくりにされたんじゃ、たまんねぇと思うぜ。「勝ち」というしょうもない単語でおだてられて口封じされた世の主婦は、きっと(笑)。
「負け犬」である30代以上独身者(おもに本人)の、「ホントウは優越感」がちらちら見えるような気もする。反面、30代半ばをすぎて独身でいることは、社会の中では大変しんどいのだなということもよくわかる。社会の中でしんどいからって、イチオ保護されてる身分の同性にヤツアタリすんなよ。
そういう道を歩く後輩支援(--;として、実用的な(?)「心得十か条」などもあるが、全体を通していえば、こういう姑息な方法(「私たちは、さ。ああいう人たちと違って」というような。いっそ林真理子的ならすっきりするのだが(--;、それを社会評論にも見えるような言説を入れながら、もっともらしく書いているのが、姑息に思える)を使うか?と、思ってしまう。個のうらみならはっきり個を出し、中途半端な論はやめて芸で書くべき程度のものではないか。わっ、イウテル。
2「結婚の条件」について
「勝ち組=労働の必要のない主婦」「負け組」はすでに当時、女性誌など(?)で使われていた表現だった。1の本とは異なり、この言葉を中心に据えているわけではない。その言葉が象徴する例を挙げながら、現在の社会構造を分析している。
女性だけでなく、若い男性にとっても必読書ではないか、と思った。
現実をしっかり見てほしい。そういう著者の意図がひしひしと感じられる。
この著書を読めば、日本の未来がどんなにお先真っ暗かわかってしまう。わかることは大切だ、と、私は思っている。
3「対岸の彼女」について
著者自身が、どこかで言っていた。
--今は、男性が女性を差別するのではなくて、女性同士が細かな立場の違いで差をつけあう時代なのではないか。だから、最後に少しでも希望を書いたのだ--と。
だから「対岸の彼女」には「負け犬の遠吠え」のアンチテーゼ的意味もある。
そういうわけで、広告に「勝ち犬」「負け犬」が使われたようだ。
しかし、広告だけを読んだら、「勝ち犬」と「負け犬」という語に象徴される女の立場の違いによる相互の違和感を小説化したようにも読めなくはない。
結末を書かないのがこういう広告の常とはいっても、仮にこの語を使うとしても、もっとほかの書き方はなかったのか?
ところで、1の書は講談社、3は文藝春秋。文藝春秋サンともあろう老舗が、自社から出した直木賞受賞作に、他社から出た流行語を使うんですなぁ、と感慨しきり。
共通のキーワードは
「負け犬と勝ち犬」または「負け組と勝ち組」
1『負け犬の遠吠え』(酒井順子著 2003/10発行)
2『結婚の条件』 (小倉千加子著 2003/11発行)
3『対岸の彼女』 (角田光代著 2004/11発行)
「勝ち」と言われた人も、「負け」と言われた人も、不快感を催すであろうこの言葉が、なぜ流行ったんだ? なぜ今も使われてるんだ?
そりゃ、マスコミのせいにするのは簡単だし、たぶんほとんどそうだと思うのだけど、その言葉が日常化してきてるような気がしてます。
1月23日、「対岸の彼女」の感想をここで書いたとき、「とも」さんがくれたコメントに、こうあった。
「これ紹介の仕方があちこちであるのだけれど、全然納得できないの。特に負け犬勝ち犬の切り取り方は」
それから、ずっと、気になっていた。
角田さんの言葉(下記に)を読んで、ああ、これは・・・と思った。しかし、「負け犬~」のほうを読んでいなかった。
2月18日、やっと「負け犬の遠吠え」を読んで書いた。
★ ★ ★
1「負け犬の遠吠え」 酒井順子著
個人的感情を敷衍した社会評論風エッセイ。
使っている単語は「負け犬」と「勝ち犬」。
「勝ち犬」の定義は、既婚者。
「負け犬」の定義は、30代以上の未婚者。
2 「結婚の条件」 小倉千加子著
わかりやすく書かれた社会評論。
使っている単語は「勝ち組」と「負け組」。
「勝ち組」の定義は、シロガネーゼに代表される労働の必要がない主婦
「負け組」は、既婚・未婚の別なくその他の女性
3「対岸の彼女」 角田光代著
広告に「勝ち犬」と「負け犬」という言葉も見受けられる小説。
私の読後感は、こちら
★ ★ ★
1「負け犬の遠吠え」について
「勝ち犬=主婦」に対する悪意が根底にあるとしか思えなかった。 ex.P31-35
元同級生のそのヒトコトに腹が立ったのなら、立ったといえばいいじゃないか。
そいつぁ、誰が見たっておかしい人だと思うが、その言葉を核に世の中の主婦をひとくくりにされたんじゃ、たまんねぇと思うぜ。「勝ち」というしょうもない単語でおだてられて口封じされた世の主婦は、きっと(笑)。
「負け犬」である30代以上独身者(おもに本人)の、「ホントウは優越感」がちらちら見えるような気もする。反面、30代半ばをすぎて独身でいることは、社会の中では大変しんどいのだなということもよくわかる。社会の中でしんどいからって、イチオ保護されてる身分の同性にヤツアタリすんなよ。
そういう道を歩く後輩支援(--;として、実用的な(?)「心得十か条」などもあるが、全体を通していえば、こういう姑息な方法(「私たちは、さ。ああいう人たちと違って」というような。いっそ林真理子的ならすっきりするのだが(--;、それを社会評論にも見えるような言説を入れながら、もっともらしく書いているのが、姑息に思える)を使うか?と、思ってしまう。個のうらみならはっきり個を出し、中途半端な論はやめて芸で書くべき程度のものではないか。わっ、イウテル。
2「結婚の条件」について
「勝ち組=労働の必要のない主婦」「負け組」はすでに当時、女性誌など(?)で使われていた表現だった。1の本とは異なり、この言葉を中心に据えているわけではない。その言葉が象徴する例を挙げながら、現在の社会構造を分析している。
女性だけでなく、若い男性にとっても必読書ではないか、と思った。
現実をしっかり見てほしい。そういう著者の意図がひしひしと感じられる。
この著書を読めば、日本の未来がどんなにお先真っ暗かわかってしまう。わかることは大切だ、と、私は思っている。
3「対岸の彼女」について
著者自身が、どこかで言っていた。
--今は、男性が女性を差別するのではなくて、女性同士が細かな立場の違いで差をつけあう時代なのではないか。だから、最後に少しでも希望を書いたのだ--と。
だから「対岸の彼女」には「負け犬の遠吠え」のアンチテーゼ的意味もある。
そういうわけで、広告に「勝ち犬」「負け犬」が使われたようだ。
しかし、広告だけを読んだら、「勝ち犬」と「負け犬」という語に象徴される女の立場の違いによる相互の違和感を小説化したようにも読めなくはない。
結末を書かないのがこういう広告の常とはいっても、仮にこの語を使うとしても、もっとほかの書き方はなかったのか?
ところで、1の書は講談社、3は文藝春秋。文藝春秋サンともあろう老舗が、自社から出した直木賞受賞作に、他社から出た流行語を使うんですなぁ、と感慨しきり。