をんな、ふと、去年の冬の京を思ひ、マイドキュメントより、この文取り出だしたり。
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睦月半ば、一人京にあり、けふこそ花筏(はないかだ)、楽器散らしの蒔絵見んとて鷲峯山(じゅぶざん)高台寺(こうだいじ)に詣でたり。ときに霙落つ空に風情見るも、うれしきひとときならん。
萱葺の遺芳庵(いほうあん)すぎ、庭ゆるゆると開けたり。小堀遠州の広き心偲ばれん庭に打たれ、しばし立ち尽くしをり。
と、小林秀雄のあらはしたる書、かすか脳裏に匂ふごと浮びて詠む。
臥龍池の無常の音やモーツァルト
眺むれば、広き庭に点在したる庭石無造作に、池も垣間見えたり。土やや高く左に配し、枝よき紅葉もあれど、いずれも見る人憩ふを第一とし、苦心見えぬやう苦心に苦心重ねし庭ならん。心遣ひ過不足なくありて、ふところ広くおほらかな庭になりたるや。
小径上りて霊屋(おたまや)の前に着きぬ。西に三条四条のにぎわひ薄墨にかすみ、眼下に臥龍池、右に臥龍廊(がりょうろう)の瓦、龍の背のごと連なる。一幅の名画たり。
高台寺といふは秀吉の北政所(きたのまんどころ)ねねの出家後の名、高台院より号すといへども、げに高台(たかだい)に建ちし寺なりと、ひとり合点(がてん)す。
霊屋、常人(じょうにん)の上るを阻み、遠く右に秀吉、左にねねの木像並びたり。
須弥壇(すみだん)の階(きざはし)、黒漆(くろうるし)うるはしく鮮やかな花筏の平蒔絵(ひらまきえ)見えたり。世に「高台寺蒔絵」とよばるるものなり。
柱、長押(なげし)に施されし蒔絵の楽器散らし小さく、そをそと知るもののみ、琵琶、笛、鼓、笙、琴と知らるべし。
花筏蒔絵の金の遠き日や
はげねずみ左に置きて賢婦あり
信長公のねねに宛てたる文(ふみ)を笑ひ覚えたるらし。
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花筏(はないかだ) ここ
高台寺(こうだいじ) ここ
遺芳庵(いほうあん) ここ
小堀遠州(こぼりえんしゅう) ここ
霊屋(おたまや) ここ
臥龍廊(がりょうろう) ここ
須見壇(すみだん) ここ