一月四日、「新春浅草歌舞伎」 夜の部見んとて、連れ立ちて赴きぬ。


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その昔、中村勘太郎・七之助の初舞台まもなき頃、

「雨の五郎」に目みはりたることあり。

見得切るさま堂に入り、力づよく愛らしく

歌舞伎の心あらはれたる舞ひぶりに、

役者の家に生まれしものの自覚と技、見たり。

また、七之助 、「ラストサムライ」の明治天皇、ことのほかよき、と、をんな。

をとこ、「丹下左膳」で名をあげし獅童 見たし、となむ。


若手役者のみ並ぶ舞台、

をぼつかなきことあらんとも

一度は見たしと、思ひたちての浅草歌舞伎なり。


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「御所五郎蔵 仲の町出逢いの場」

をんな、隣のをとこに小声で言ひたり。

「文化祭に毛が生えたみたいな・・・」

間合いのかそけきずれならんや。

台詞つかえしところなけれど、いまだ腹に入らざるや。

いな、そも「出逢いの場」のみ演しものとせし、興業の誤りなりや。

獅童のよきところ、見えにくき演目ならんや。


橋本治の「大江戸歌舞伎はこんなもの」 など思ひいだし、

江戸時代、人の寿命短しといへども、

歌舞伎役者、五十、六十ならずとも

大むこう、うならせたりと聞きしが、

江戸時代の歌舞伎は、傾(かぶ)きたる芸、

新しき技創りたるものなれど

今の歌舞伎、型すでにあり、

まねぶに時の要るものとなりしか。

舞台に見入るあたはず、やくたいもなき、

あたりまえなること、つくづく思ひたるとなむ。


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「春興鏡獅子」 よき。

弥生の初々しさ、おのづと持てる花の頃なり。

父勘九郎の獅子、菊五郎や玉三郎の弥生、

ふと思ひいだしたるが、それはそれ、これはこれ。

桜鼠(さくらねず)に近き紫香(しこう)色の振袖、

大きく白く染め抜きたる几帳に、

目出度き七宝文(しっぽうもん)詰めたるも品よき。

よくしなふ細き姿態にて、蝶のごとく舞ひゐたり。

獅子になりて、毛ぶり、髪洗ひも勇壮たり。


美しき御殿女中の舞ひいだし
  紫香のてふの上手下手に   /カミテシモテ

  鳴板の音高らかに響きたり
  初春歌舞伎の勇み伝へて 


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「恋飛脚大和往来 封印切」
「忠兵衛」の片岡愛之助、<一般家庭の出身だが、子役として歌舞伎に出演した際に天分を認められ、十三代目片岡仁左衛門の部屋子に>と、あり。

素顔より舞台の姿、十五代目仁左衛門に似たり。

敵役の「八右衛門」は市川男女蔵。

誰をいつみしと、しかと覚えもなきに、

上方の八右衛門の台詞まわし浮かびて、

男女蔵、父・左團次ゆづりの達者な芸なれど、

上方の八右衛門にならざりしこと、惜しめり。