タイトルのパンチ力
子供が素直に放った一言の衝撃と同じくらい
そう、クソババアです。バイト先にいる。
問題っちゃ問題の。(笑)
それはなんだかグサッと刺すような言い方をする人でして。
別に仕事としては全く間違ってもいない指摘なので何も言えることはないのですが、(私が新人でもあるので)
ただ、
「あんた、何も出来ないの?そんなウロウロしてる間にもっと出来ることあるんじゃないの?」
みたいなね。違和感を感じない人もいると思いますが、私はビンビンに感じ取ってしまって。
それを聞いたときに、「あ、これが今の日本社会の現状か。」と。
また、「このスーパーの闇でもあるな」と。
と言いましても、私の感じる中の、独断と偏見では
そのスーパーは大分面白い方だと思っています。
結構いろんな方が優しいのですよ。ほんとに。フレンドリーで。クセもあって(笑)
ただほんとにウッと感じるダークなエネルギーとしては
クソババア1人ぐらいなのです。
だから何というか、問題っちゃ問題でもあるし、
問題ないっちゃ問題ないです。
今起こっていることを少し大きな視点で見たら、私がこの仕事を完全にこなせるまでと楽しみを感じるまでのプロセスである様にしか思わないのです
が、その反面私の肉体はもろく傷つきやすいため、
やっぱりどこか凹んでたり落ち込んでたりします。
それを発散させるためにどうするのかというと、
とりあえず「泣く」しかないのです。
「あのクソババア怖かった〜。」
とか
「やっぱあのクソババア怖かった〜(2回目)」
とかとか。(笑)
それでね。前の自分と違うなとハッキリ分かることがあります。
それは
強くなろうとしない。
そしても1つおまけに
悔しさをバネに頑張らない。
ということです。
だって結局時間が経てば、同じことをしてれば人は勝手に覚えていくのですから。
なんでこうするかって。
例え仕事がバリバリ出来ていようが社会でとても役に立つことをしていようが、
とりあえず
あのクソババアみたいにはなりたくないからです
あっ、ここは笑うポイントですよ。そう。笑っていいのです。
どうしてもジャッジをしたくなって、相手または自分を責めたくなるかもしれませんが、
中立に考えると(あと私の予感)
クソババアと私は多分似てるんだろうなと感じます。面白いことに。
その似た2つのクリエイティビティが
ただ今、単純にコインの表と裏になってるような仕組みになってるだけです。
もっとハッキリ言えば、究極に、単純に、クソババアは今までの古い自分です。
先ほど書いたあのセリフ。
「あんた何も出来ないの?そんなウロウロしてる間にもっと出来ることあるんじゃないの?」
これをシンプルに要約すると
→「社会でちゃんと働けず、役に立たない私は愛されないし、きっと誰にも認めてもらえない。」
完全に昔の私と、今もまだ微かに残っている私の心の声そのものです。
だから、否定出来ないのです。でも100%飲み込めるわけでもありません。
だってそれは違和感として残ってるわけだから。
それはほんとの私の在り方ではない、ということを魂は分かってるのです。(なんだか今回やたら色使いがスゴイことになってるけど)
それを今回ものすごく感じてます。
古い自分の傷に響いて、またあの似たような幻想をみてるかと思いきや
目を覚まさせるように新しい癒やしの風と白い光が入って来たり。
傷つかない人間はいないのかもしれません。そして、強く在る人ほど実はとても弱い存在であるのかもしれません。
私たちは常に試されて、うごめいて、変わらずに絶やすことなくどこかと交信を図って生きている。
その信念が社会であるなり、神であるなりして。
私はちゃんと原点に戻るために(私という神と繋がるために)一度二度と引きこもったのかもしれません。
そのおかげで、ビンビン感じまくっています(下ネタみたいでごめんなさいね)
そしてたくさんの発見と気づきも得ることができました。
引きこもる前の自分は感覚が麻痺してて何も気づかなかったし、何より
自分が何したいのか分かりませんでしたから。
どれだけ社会の情報に惑わされてるのか。そしてどれだけ自分という感覚を鈍らされてるのか。
あまりこんなこと言いたくないけど
もし今の社会に違和感もなく従っているなら。
これから先起こることに対して何も危機感がなくなってしまうと
マジで思っている。
生き方も自分も分からなくなって
先の未来で手こずるのは自分自身であること。
なんだか段々と暗い感じになって来ているようだが、(笑)
まぁそんな感じで今の自分のイベントと感じてることを実況してみました。
それぞれ起きてることは違えど、もしかすると感じることは皆も同じくて?
目の前のことでいっぱいいっぱいになっちゃうのは仕方ないけど、
その後ろにデカイ何か(これからのために大事なこと)があるように感じるのは確か。
さぁ、生きよう今はそれだけ