ヒーリングのエネルギーだって


ひび割れたとこにしか入ってかないし


お互い引き合い出会うための観点においても


どこか似たような雰囲気と凹凸を創る必要性がある。


その原点こそが


「傷」であって


自分語りのベストな立ち位置でもあるけど


ほんとはそういう誰かとのもしくは自分の宇宙と誰かの宇宙との


繋りを共感するためのシステムに過ぎないと


思った。


本来無一物。


お母さんが齊藤つうりさん経由で教えてくれた


この言葉。


仏教用語だと思うけど


最近唱えてるんだ。なんか思い立ったら。


傷と私。社会と私。みんなと私。


どれをどうとっても構わないけど


ただの考えすぎかもね。ということが今の自分のタイミングに合ってるのかもと思ってる。


静かに。ひとりの世界。終わろうとしてる。


いや終わらないけど


何かが変わろうとしてる。一幕終了、的な。


ただ見てようと思う。頭で理解できないからさ。


本来奇跡もドラマもそう始まってくしね。