私今、心の底で何かがつっかかってて、それが出てるのか分からないけど、涙が出てくるの。


なんか勝手に悲しい気持ちになってるの。これは絶対に本来の私ではないのは分かってる。


でもずっと小さいときから、しまい込んでいた、抱え続けてきた、とても辛いものを今日まで無かったことにしてきた。


その感じきれなかった塊がデトックスとして出てきてるみたい。


今分かったんだけど、この涙の正体がさ、私が今まで信じてきた古い固定観念なんだけれども、


私が我慢すれば、犠牲になれば、周りは幸せになれる。それで私は幸せ。


というもの。この固定観念が悪いとかというジャッジの話ではない。


ただ単に今の私にはもう必要ないよねっていうこと。


周りももうそれなりに幸せな方へと動いていて、私も一緒にその中にいる。


なのに、何かがスッキリしない。


楽しいのに、痛い。楽しいのに、痛い。
幸せなのに辛い。幸せなのに辛い。


このジレンマがずっと繰り返されていて、幸せなのに、楽しいのに、何かが空回りしてる。


これね、意外と混乱する。ひょっとしたら、ちょっとしたら、結構危ないかもしれない。


だから今こうやって気づけたから良かったんだけれどね。


もしこのままいってたら、どうなってるかも分からない。


そういえばなんだけど、急に昔のことを思い出したので話します。


保育園にいたとき。年長さんで、卒園式の謝恩会だったかな。


自分の名前の頭文字で物語みたいなものを作って、それを絵本にして、保護者や友達のみんなの前で発表するっていうサプライズ的なことをしました。


私が覚えてる範囲だと、名字の頭文字2文字だけなんだけど。笑


もりあやののも!(本名公開しちゃったけど気にしない!滝汗ニヤニヤ)


が泣いているよ。


もりあやののり!


りんごが泣いているよ。


という具合に、名前の頭文字ほぼ全てが


泣いているよ。


で終わっていました。今思うとすごく不思議なんですけど。


やっぱ子供って素直なんですよね。


あと、よく絵を描いたりすることで、その子の心理が見えてきたりすることもありますよね。


多分そういう感じだったんだろうなって思います。


当時の私は一生懸命、自分の名前の頭文字で作った絵本で、


自分の気持ちを伝えていたんだろうなって思います。


SOSを出していたんだろうなって。


だから、会場の空気がその時しんみりしちゃって。笑


保護者の皆さんの「どうしたの?」みたいな感じが、そんな空気が視線が子供の私でも痛いほど分かりました。


辛かったよなー!あやの!
苦しかったよなー!あやの!
痛かったよなー!あやの!
よくここまで頑張ったよなー!あやの!
でも今ほんとに幸せだなー!あやの!
良かったねー!あやの!
楽しいこともたくさん思いっきりできるねー!あやの!
良かったねー!あやの!


自分の痛みを認めないで幸せを認めるのと、自分の痛みも幸せも認めるのとは、違う。


自分の痛みは抵抗出来ない。心で感じてほしいからそうなってる。


痛いよね。って認めてあげて、幸せになったら、心から幸福感が味わえる。


どれも誰も何も悪くなかったんだよ。最初から。


心で感じてることは自分の感覚で、優先するもの。


頭で動くと、混乱するよ。


心のセンサーが鍵。