四日市公害訴訟の原告であり、本市の「四日市公害と環境未来館」の協議会委員としてもご尽力頂きました「野田 之一」さんが1月25日にご逝去されました。

 

 野田さんは、四日市公害訴訟の唯一の存命者で、2000年から四日市公害の語り部としても精力的に活動をして頂いておりました。

 

 野田さんの語る体験談は、力強く、四日市の環境改善に対する強い思いが心に重く突き刺さるものでした。

 

 私は、現在40歳であり、四日市公害の当時を知らない世代の一人ですが、野田さんとお話をさせて頂くと四日市市が経験をしてきた公害という歴史が本市にとってとても大きなものであり、決して風化させてはならないものである事を強く認識させられました。

 

 今の環境先進都市四日市があるもの、野呂さんらの活動があったからに他なりません。

 

 野田さんの存在は四日市市の大きな財産でありました。

 

 野田さんは、かねてから「この命が続く限り、公害での経験を伝え続けていく」とおっしゃられていました。

 

 これからは、公害の歴史を風化させることの無いよう、野田さんのご遺志を次の世代に伝えていくことが残された我々に与えられた使命と責任であると捉えています。

 

 以前、野田さんと一緒にいる時、記者が野田さんに「市長に何か言いたいことはありますか。」と聞かれた際に野田さんは「何も言うことは無い。しっかりとやってくれると信じている。」とおっしゃって頂きました。

 

 市政を司る私にとって、非常に大きく深い言葉でした。

 

 四日市市は大きな存在を失いましたが、これからも四日市市は市民、行政、企業が共に力を合わせ、環境改善を成しえてきたという誇りを持ち、また、公害の教訓を忘れることなく、更なる環境先進都市を目指して歩みを進めていきます。

 

 野田さんのご冥福を心からお祈り致します。