6月4日、四日市市議会議員の杉浦氏が、享年62歳でご逝去されました。
杉浦議員とは会派は異なりましたが、議員になってからの3年間、一年生議員として多くのご指導を受け、一議員として沢山の議論をさせて頂きました。
杉浦議員は、自らの考えを持ちその考えを貫かれる真っ直ぐで強い意思を持った方でした。
私が心を開ける議員の一人でした。
杉浦議員は銀行出身という事で、議員就任当初から財政問題に積極的に取り組まれてきました。
私も公認会計士という職業から行財政改革には力を入れてきましたが、議員になりたての頃はその切り口や視点をどの様に持つべきか手探りの状況であった事から、自らの一般質問の前に杉浦議員の過去の一般質問の動画を見せて頂き、自分のなりの考え方をまとめていった事もありました。
私が議員になり2年目の頃、杉浦議員から『森くんと私は財政健全化を訴えるという視点が似ているから、共に勉強会をしてみないか』と誘われ、二人だけでしたが幾度か勉強会をさせて頂きました。
市の税金の無駄遣いを徹底的に洗い出すという勉強会でしたが、途中から杉浦議員の体調が崩れ、入退院を繰り返すようになられた頃から開かれる事はなくなりました。
私が知る範囲ですが、杉浦議員の議員としての信念を最も感じたのが、1年前の平成25年2月定例月議会における『(仮称)大矢知中学校新設事業』関連予算14億円の議会による否決であります。
『(仮称)大矢知中学校新設問題』は、当時マスコミでも大きく取り上げられました。
一度は議会が認めた市長の肝いりの施策である『(仮称)大矢知中学校新設事業』を、最後の最後で議会が止めたのです。
この議会の判断には様々な方々の関わりがあり、一人一人が大きな役割を担っていました。
その中の一人として杉浦議員も非常に重要な役割を果たされました。
当初、杉浦議員は(仮称)大矢知中学校新設に賛成の立場でした。
それは、「(仮称)大矢知中学校」を新設しなければ「新総合ごみ処理施設」が建設出来ないという市長及び市の説明を受けての事でした。
しかし、平成25年2月定例月議会の一般質問の答弁において市長は、『(仮称)大矢知中学校新設問題』において「(仮称)大矢知中学校」と「新総合ごみ処理施設」はセットでは無いと発言しました。
杉浦議員はこの市長及び四日市市の考え方の変更を重要視し、考え方の前提が変わったのであれば我々は一旦立ち止まり知恵を出し合い再度議論をすべきという考えを持たれました。
その後、杉浦議員を含む考えを同じくする方々と『(仮称)大矢知中学校新設事業』否決に向けて奔走させて頂いたのを今でも強く記憶に残っています。
政治家が一度決めた判断を変える事は本当に勇気の要る事です。
しかし、杉浦議員は何が四日市市にとって最も大切な事かを考え、本当に必要な決断をされたのだと感じています。
そして最後まで杉浦議員はこの判断を貫き、本会議では『(仮称)大矢知中学校新設事業』予算減額修正案の提案者になり、急先鋒で戦われました。
この杉浦議員の決断により四日市市議会の流れは大きく変わり、『(仮称)大矢知中学校新設事業』が否決へと追い込まれることになります。
「信念を持ちそれを貫き通す」
杉浦議員の議員としての生き様を見せて頂きました。
私にとってはたった3年間という期間でありますが、私は杉浦議員の生き方や考え方から多くのものを学ばせて頂きました。
しかし、もっともっと沢山の議論をさせて頂いたり、お話をさせて頂きたかったです。
62歳という早すぎる死、残念としか言い様がありません。
杉浦貴という尊敬すべき政治家がいたという事をしっかりと胸に刻み、財政健全化を強く願われていた杉浦議員の想いをしっかりと受け止めて今後も活動していきたいと思います。
杉浦さん、会派を超え一人の議員として私と接して頂いたこと本当に感謝しております。
今迄、本当にありがとうございました。
心からご冥福をお祈りします。