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昨日サッカーを小高坂小学校グラウンドにて行った
最近、仕事や悩みがあったりなどで疲れてて、ちょっと自分自身のコントロールが効かず、皆への連絡が遅くなったからか、人数が先週の半分の10人しか居なかった
反省
普段7人vs7人や8人対8人で試合しているのだが、5人対5人でゴールキーパーをつけずにゴールの中に見にゴールを入れてミニゴール以外の部分に入れればゴールという形で行った
普段より人が少ないわけだから、スペース(相手守備が居ない空間)が空く
皆のっけから走りまくりで疲労の色が濃い練習となった
そんな中、普段よりスペースが大きいので、ドリブル突破を何度か試みて、成功した
自分は骨太でサッカーをする人間にしては筋肉がつき過ぎてる関係で90kg近く体重がある
だから、個人練習でドリブルの練習はよくやっているのだけど、なかなか人が相手の練習では使う気にならなかった
だが、最近その個人練習の成果が出てきたのか、けっこう抜いたり切り返したり、キープしたりできだした
パスを受けてもその場からドリブルはあまりせず、一度中盤に落とすパスをしてから駆け上がり、というのを比較的よく出来た
最近ルックアップも多少頻繁にできるようになったため、めくらのパスも少なくなっている
最近読んだサッカー関連の記事に「まずはボールを失わないプレー それが出来たら自分のやりたいプレーをやっていく」というものがあった
海外の育成組織の責任者の言葉だったが、何の気ないコメントのようで居て、今の俺には凄く響いた
俺は「凄い」と思われたくて、極端なプレーをつい選択してしまいがちだ
確かに驚きは与えられるかも知れないが、それではチームは勝てない
地道に行こう
俺がやっているフォワードというポジションは、野性味ある人間が向いているように見えて、冷静さを多く求められるポジションだ
惰性でその場のひらめきオンリーで点を取れるほど相手も甘くない
最近、一緒に練習している相手チームのゴールキーパーが、なかなか凄い腕前で、余計に点が取れなくなってきた
目の前に起こる状況や出来事に動揺しすぎてはいけない
冷静に、熱く、激しく、そしておおいに楽しんでやっていきたい、と思う
相手DFに詰められたら、「さぁ、どうやって防ぐつもりだ?俺はこう行くぞ!」という心持で最近やっている
味方からどう思われるか、見えない所から来る敵のチェックに対して俺は大丈夫か、様々な心配事や気をかけなければならないことも、プレイをする上でどうしても心にわきあがって来る
が、味方にどう思われるかを気にし過ぎてプレイが固くなったり、今蹴ろうとしているボールに集中できないなんてナンセンスだ
味方に信用してもらうためには、信用されないか心配するより、今目の前にある状況をありのままに見て、できることをちゃんとやることだと思うこの頃
そして敵の守備に対してもそう
瞬時に想像できることに備えればよく、それ以上のプレイを相手ディフェンダーがしてきて敗れたならそれはしょうがない
起こりもしないことに恐々として縮こまっていて、何ができる?
心を開き、いつでも起こったことに反応できる自分でいることが大事だ
当たり前のことを当たり前にまずやる
起こりもしない恐怖に支配されない
起こったことに対しても動揺し過ぎない
以上のことに気をつけて、これからもサッカーを続けて行こうと思う
またサッカーの場面だけでなく、仕事や日常の生活でも継続することが重要だと思う
サッカーの時だけ別人になどなれるはずがない
33歳からサッカーを始めて、経験者も多く居る中で、少しずつだけど年々上手くなって来ていると実感するこの頃
もうすぐ40歳だけど、見た目もかなり若く見られるのだから、俺の体もまだまだ動くはず 笑
今もけっして上手いとは言えないが、以前にもたびたび、こういう気づきがあったからこそ、ド下手から少しでもマシになって来た
人生を見ても、俺は上手に生きて来たとは言えない
そう相手との信頼関係もできてないのに、相手に好かれることは置いて、おせっかいばかり焼いて、損をすることもしきり
サッカー以外にも、どんどん現状の自分と現実とのマッチングから気づくことや、読書を始めその他の様々なことからもどんどん気づきを得て、少しでもましな自分になっていきたい
俺は女遊びや賭け事に時間を費やすくらいなら、そういうことに時間を費やしたい
今、身の回りを見れば、浮気や不倫をする人が数多く居る
そうしてない人の方が少なかったりする
けどそれが当たり前なんて思いたくない
きっと悲しんでいる人、苦しんでいる人が居ると思うから
つまらない人間と思われることもあるとは思うけど、いいことが言えない、嘘がつけない人間である以上、実力をつけることでしか、この先いろんな意味で生きていけない
愚かな俺でも、現状駄目だと認識し、少しでもマシになろうと思う
サッカーもまた、俺を磨く砥石なのだろう
最近、チョコレートを梅酒と一緒に食べるのにハマっている
板チョコを一列折り、口にしたら梅酒を流し込む
美味しい
子供の頃、クリスマスや誕生日会に出るウイスキーボンボンが大好きだった
大人になって、ロッテのラミーというチョコレートに出会った
ラム酒がふんだんに入っているチョコ(アルコール度数3.7%)なんだが、これがもう癖になる美味しさ
スーパーのお菓子売り場に入ると、毎度買いたくなる衝動を抑えるのに苦労している
その流れでチョコと梅酒を一緒に食べてみたんだが、これまた旨い。w
梅酒も大好きで、飲みに行くとこればかり飲んでるくらいだから、好きなもの同士の組み合わせなわけで、美味しくないわけがない
チョコレートはいつも明治のHimilk
赤いパッケージで「Himilk」が白抜きに表記されている
それをいつものように二つ手に取った
ひとつ戻した
昨日のサッカーで調子が出なかった
毎日梅酒を飲んでるからか?
チョコを2枚買うとさらに梅酒を飲む量が増える
セーブする心が働いた
本当の所、調子がでなかった原因としては、最近中1日で走りこみや個人練習をかなりハードにしてるので、体が回復してないのと、いろいろあって睡眠時間の少なかったことの方が影響大なんだろうけども
チョコを元の場所に戻す時に違和感を覚えた
「Himilk」という文字が逆さ向いて見えたので、一瞬だが「ハングル文字」のように見えたのだ
ちょっとしたことなのだが、気づいた
チョコの包装紙の文字という単純なものでさえ、逆さにすると伝わるのに少し時間がかかる上に違和感を覚える
たとえば、他人に伝えたいことがあったとして、それを杓子定規に、工夫もせず伝えても、上手く伝わらないのではないか、と
相手にこちらの言いたいことがちゃんと伝わるようにしていこう
そう思った
ここまで読んで「何?」と思われた方も居るかも知れない
柄にもなく、最近 他人に対して説教じみたことをしてしまったのだが、結果、相手を大変怒らせてしまった
俺自身はその人の事を真剣に考えて言ったつもりだったのだが、「つもり」で終わってしまっていた
その人から断片的な状況や事情を聞いて、大体のことを推察し、わかったつもりになって、「それはよくない。やめるべきだ」と断じた
どれだけ細かく聞いても、多分俺は同調はできなかっただろう
が、やはり話をしっかり聞いてあげるべきだった
多分、その人には、話を聞いてくれる人が必要だったんだ、と今は思う
その人は「これではまずい」ということはわかっていると思う
実際、そのような言葉をその人からも聞いていた
なのに否定してしまった
話も断片的にしか聞いてないから、相手しても「ろくに知らないくせに」というのもあっただろう
もともと人の話にかぶせてしまうところが俺にはある
仕事の研修などで、この年になってそのことに気がついた
今回、その教訓が生きてなかった
コップの中の牛乳はまけてしまった
今は時間が癒してくれることを願うしかない