私は個人的に沖縄の文化や歴史に深い関心を持ち、若い頃から通い詰めていました。
いまでは音楽関係や琉球舞踊をしている友人、商工関係、飲み屋さん、普通のおじーおばーに至るまで沖縄県内に友人がたくさんいます。
その友人の友人、そのまた友人と辿り着いたのが名護市議会でした。
結果、とぐち武豊氏が会派長を務める「礎の会」4名の議員との出会ったのです。
お互いの窓口は私と比嘉しのぶ議員。
初めての待ち合わせでは異常な緊張感があった。
いまでは笑い話となった「間違いによるすれ違い」事件。
緊張感とともに”遠い距離感”を感じたのを覚えている。
名刺交換の際には、作り笑顔。
その数秒後にとぐち武豊氏が戸惑い顔をするわけだ。
私の名刺を見ながら「自民党?あま市?」と確認するが、こちらは普通の対応で「はい」と答えるだけ。だって普通だから。
・・・得も言われぬ空気が流れる。
のち発覚するのだが、どうやら事前情報で私は民主党の議員だと思われていたようだ。
間を取っていた友人から「名古屋から来た森議員」とのみ伝わっていたようだが、そんな事はとっくに忘れていた。
名古屋近郊出身の場合よくある説明である。
「どこからきたー?」「名古屋ですー」
そんな何でもない話である。
その情報を基に名古屋市のHPを検索したそうだが、【たまたま民主党に森という議員がいた】というのが間違いの始まり。
ちなみに私は名古屋市の隣にある”あま市”の議員だ。
名護市議会の自民党系会派(とぐち氏ら)から見れば・・・
県外の民主党の議員が「基地移設について推進の立場である!勉強したい!」と言ってきたと誤解しており、なんで??何の目的だろうかと緊張していたわけである。
立場の異なる議員から会いたいと言われたのなら、丁重に断る道もあったはずです。
ですが、とぐち武豊氏は気持ちよく迎え入れてくれた。
「間違いによるすれ違い」から始まった私たちのお付き合い。このエピソードは今では笑い話になっている。
礎之会の皆さんとの交流はここから始まる。そして礎之会の皆さんが「愛知県での研修」となれば、食事場所を私が段取りするような、会派を含めて深いお付き合いにも発展する。
そして!!
渡具知武豊氏が名護市長選挙に出る!
いよいよ出た!
この情報もかなり早い段階で知っていたわけだが、絶対に応援しなくてはいけない!と、仲間内で誓った日のことは忘れない。
我々「政和会」としては、あくまでも「会派」として応援に入ると会議で決定。
うちの会派会議では
レジュメに必ず
◼︎名護市長選挙について
が追加された。
作戦も含めた事前説明が繰り返された。
昨年中には候補者選定がなかなか定まらなかった「なんで武豊さんじゃダメなんだ!」と官邸にイライラしていた事も付け加えよう。
そして第2章 〜事前調整〜 へ続く