皆さんこんにちは!
森こうじです。

渡具知武豊 応援日記①です。
まず今回は名護市まで応援に入る前段階を説明したいと思います。

何故?愛知県あま市議が名護市長選挙に一週間も複数人で関わったのか?
選対に深く関わっていたのか?
どうして??

そんな始まりの部分について
過去のブログからの引用も含め、かなり書き直していますのでご覧ください。

第1章  〜出会い〜

私は個人的に沖縄の文化や歴史に深い関心を持ち、若い頃から通い詰めていました。

いまでは音楽関係や琉球舞踊をしている友人、商工関係、飲み屋さん、普通のおじーおばーに至るまで沖縄県内に友人がたくさんいます。


その友人の友人、そのまた友人と辿り着いたのが名護市議会でした。

結果、とぐち武豊氏が会派長を務める「礎の会」4名の議員との出会ったのです。


お互いの窓口は私と比嘉しのぶ議員。

初めての待ち合わせでは異常な緊張感があった。

いまでは笑い話となった「間違いによるすれ違い」事件。

緊張感とともに”遠い距離感”を感じたのを覚えている。

名刺交換の際には、作り笑顔。

その数秒後にとぐち武豊氏が戸惑い顔をするわけだ。

私の名刺を見ながら「自民党?あま市?」と確認するが、こちらは普通の対応で「はい」と答えるだけ。だって普通だから。


・・・得も言われぬ空気が流れる。

のち発覚するのだが、どうやら事前情報で私は民主党の議員だと思われていたようだ。

間を取っていた友人から「名古屋から来た森議員」とのみ伝わっていたようだが、そんな事はとっくに忘れていた。

名古屋近郊出身の場合よくある説明である。

「どこからきたー?」「名古屋ですー」

そんな何でもない話である。


その情報を基に名古屋市のHPを検索したそうだが、【たまたま民主党に森という議員がいた】というのが間違いの始まり。

ちなみに私は名古屋市の隣にある”あま市”の議員だ。

名護市議会の自民党系会派(とぐち氏ら)から見れば・・・

県外の民主党の議員が「基地移設について推進の立場である!勉強したい!」と言ってきたと誤解しており、なんで??何の目的だろうかと緊張していたわけである。

立場の異なる議員から会いたいと言われたのなら、丁重に断る道もあったはずです。

ですが、とぐち武豊氏は気持ちよく迎え入れてくれた。

「間違いによるすれ違い」から始まった私たちのお付き合い。このエピソードは今では笑い話になっている。

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礎之会の皆さんとの交流はここから始まる。


そして礎之会の皆さんが「愛知県での研修」となれば、食事場所を私が段取りするような、会派を含めて深いお付き合いにも発展する。

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選挙事務所で戦っていた方ばかりですね。

次も、その次も沖縄に行けば皆さんと会って語らう。勉強させて頂く。
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そして!!

渡具知武豊氏が名護市長選挙に出る!

いよいよ出た!

この情報もかなり早い段階で知っていたわけだが、絶対に応援しなくてはいけない!と、仲間内で誓った日のことは忘れない。

我々「政和会」としては、あくまでも「会派」として応援に入ると会議で決定。


うちの会派会議では

レジュメに必ず

◼︎名護市長選挙について

が追加された。

作戦も含めた事前説明が繰り返された。


昨年中には候補者選定がなかなか定まらなかった「なんで武豊さんじゃダメなんだ!」と官邸にイライラしていた事も付け加えよう。


そして第2章 〜事前調整〜 へ続く

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若い力で一歩前へ!
元気もりもり森こうじです。