「天顕祭」のことから鳶職を通じて延々と祭りや神楽のお話をしてきたわけですけど
実際、このマンガの中で描かれている鳶職が、一番現実離れしているのは「竹足場」の利用です。

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一見、そんなことが現実離れしているとは気づかないんですが、
日本では竹の足場を使わないんです。

日本の建設足場は、杉丸太なんですね。

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というのも、こういった足場で使用されるのは、間伐材といわれる杉丸太です。
構造材料としての杉材をきちんと生産するためには、山の中に繁茂しはじめた杉を一定の間隔で間引いてやらないといけないんですね。

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だから直径10センチくらいの足場材として手頃な材が必然的に山から下りてくるわけです。

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そこで、足場材としての杉の丸太が常に一定規模供給されてくる。
また、戦後になってこそなまし番線といわれる針金を使って足場丸太を結束していましたが、
かつては縄です。

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縄というのは稲藁(いなわら)で作られたヒモのことです。
最近では農業の現場ぐらいでしか見られなくなってしまいましたが、
この縄が意外に強いんですね。

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廃棄される間伐材と稲作廃棄物でもあるワラが建設現場で大活躍していたわけですね。
日本では竹も相当繁茂しますから、もちろん竹でもよかったのかもしれないんですが、
竹は竹で別の用途がいっぱいありましたからね。

これはどういうことかというと、今年も大発生が予想されている杉花粉なんですが
人里に近い日本の森林の30%くらいは、自然に繁茂した杉ではないんです。
また、戦後に森林を守れとか緑を大事にとかいった甘っちょろいエコエコでもなく、
杉、檜をはじめとした構造用木材の生産現場だということです。

つまり、元々は管理維持運営されていた「木の畑」なんです。
この
各地の「耕作放棄された木の畑」で杉が「野生化」してしまって、
大雨時の倒木や密集育成による異常な花粉量の発生を招いているといえます。

我々の祖先は各地に入植して集落を形成するときに、
急斜面の山を「構造木材の畑」に変え、
平地を「食料生産の田んぼ」に変え、
家はその境目に建てたんですね。

そのため、大体の昔の家は石垣によって数メートル造成された、
少し段差のあるところに建っているでしょう?
この石垣をヨウ壁と言い出してから、斜面地での建設がやっかいになってしまっているのですが
その話はまたすることにして

竹足場は南部の中国が本場なんですよ。
竹の足場は今でも香港ではポピュラーな工法ですよね。

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超近代的なビルが今でも竹足場で作られているのを初めてみたときは非常に驚いたのを覚えています。
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竹の足場の有機的な脆弱で繊細に見える山繭のような皮膜の中から、
ノーマンフォスターやポールルドルフの銀鏡メタルの外観がのぞく様は、
まるで、有機体の中から脱皮を試みるターミネーターのような、
異常なサイバー感がありました。

足場ひとつをとってみても、生活の知恵というか容赦のない生産合理性が確立され、
その後長い年月をかけて地域の技や文化に変わっていく話でした。


そういった意味で「天顕祭」の中で「フカシ竹」が大地の汚れを吸い取った後に足場竹として使用されるくだりや、
「天顕さま」のお飾りである竹のクシナダ姫を鳶たちがつくるといったくだり、
真中が夢の中で出会った村の婆さんから「フカレ」を消すために笹茶を飲ませてもらうくだりなど、

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「天顕祭」の中の世界でも、長い時間をかけて育まれたであろう地域の伝統や文化が、そうやって確立されていたことが分かるのでした。

作者の白井弓子先生は、この作品をどこかの雑誌で連載されていたわけではありません。自費出版されていたものが文化庁
メディア芸術祭マンガ部門奨励賞を受賞され、これまた、サンクチュアリー出版という破天荒な出版社(高橋歩さんという凄人が設立)が書籍化してくれたおかげで、こうして今、私をはじめ多くの人が読むことができるという奇跡の書です。
その後、白井先生は「WOMBS」という、ハリウッドで映画化したら必ず大ヒットという、
とてつもない作品を発表されており、つい最近2巻が出ましたが即買いしました。
これについては今度詳しくご紹介します。


ほんの20~30年前までは、ずっと日本の建設現場の足場は、
間伐杉の丸太足場にワラだったんですが、
今はその足場組みができる人も減りつつあります。

今現在、日本の建設現場における足場材は、亜鉛メッキ鋼管が主です。
そして、それらはレンタルによりまかなわれており、
この鋼管足場をレンタル使用するというシステムが、
今の日本の社会の仕組みを結果として表現しているといえなくもないわけです。

このシステムが何か文化的な領域まで昇華されていけるのかどうか、
それは今後数百年たってみなければわからないでしょう。