『LGBT』という言葉がメディアなどに多く登場して久しい今日この頃であります。(LGBTって何?って人はググってください。←不親切)それに『Q』を加えて『LGBTQ』という風にも言われたりしているようですね。

…でもって、一応、ワタクシめは性別は男、性自認も男?(←この『性自認』が今回の肝なので「?」をつけました)男性が好きなので『GAY』というカテゴリーになるため当事者となるわけですね。

 当初、この『LGBT』という言葉が世の中に出始めた時に「面倒くせっ!」と思った…というのがワタクシめの率直な感想であります。アナーキーを気どりたいワタクシめは「カテゴライズされたくないわっ!」みたいな気持ちになったのであります。(それを通りこして、今は「したいならどうぞカテゴライズして下さい。はいはい、ワタクシはこの組に入ればいいんですね。」という気持ちになっている。年齢を重ねるって素敵…楽な生き方を覚えるわね。)

 

 ワタクシめは20歳代くらいまでボーっと何も考えずに生きてきたので、それまでは自分のセクシャリティーに疑問や不安を抱かずにいたのに、ある日、突然に20歳くらいで急に間欠泉のように不安がぶしゅーっと噴出したわけです。

「え!?ちょっと待って!?自分ってゲイなんじゃない!?」…って。

(17歳くらいで男とセックスとかガンガンしてたのに、そこも何も考えなかった自分の鈍感力にすごいと思うけど…。まぁ…鈍感というよりは知らなかったから迷わなかった…という感じかしらね。)

 

「このままじゃあヤバイ!老後とかどうなるの!?」と焦ったけれども、無理なモンは無理…みたいな感じで、激流に飲まれた小魚のように今日この日まで流されたきた次第であります。

(全然別の話だけれど、既婚で子供がいるバイセクシャルの人に「俺らバイセクシャルは子供もいるから老後も安心だけれど、君たちゲイは子供もいなくて老後どうするつもりなの?」と言われて「子供がいる=老後は安泰ってどんだけ考えが浅いわけ?明日、あんたの子供は事故で死ぬかもしれないし、年月が流れて『お前なんて親じゃねぇ!』って絶縁されたりするかもしれないから安泰なんて言えないじゃん?そもそもたとえ自分に子供がいたとしても老後の面倒をみさせようなんて思わないと思うし…。」って言い返いしたら二度と連絡とれなくなった人がいた。反撃するために脊髄反射で絞り出した文言だったけれど、自分で言っておきながら、すごく自分で納得したし、何か吹っ切れたものがあった。)

 

 そいでもって最近、すごく腑に落ちるセクシャリティーが登場して、その名は『ノンバイナリー』というもの!

 

 なんとなく腑に落ちなかったのは「性自認」であります。今までのメニューって「男」「女」しかなかったから、「あ、じゃあ男で…」って選んでて、それに対して不安や疑問もなかったんだけれど、「性自認が男」というのがなんとなく腑に落ちなくて(あくまでも『男らしさ』『女らしさ』がある世界での話だが…。)女子たちに「私たちみたいになりたいのね!」と言われると「いや…別に女になりたいわけじゃあ…。」という感じでありました。

 性器的には(性器的って何だ?って感じだが)断然チ◎コが良くて、むしろ「もっと大きいのが自分にあったら」とか「もっと形がいいのが自分にあったら」とか考えたりするくらい断然チ◎コ!なのですね。

 なりたさ…で言ったら、むしろもともと持っているものが「女」が強いので「男っぽさ」が欲しいなぁ…と思っていたくらいであって(そっちの方がモテるから。このギョーカイでは…。)そうすると「性自認は男か?」となっていたわけです。

 

 そこにきて、新メニュー『ノンバイナリー』の登場であります!いやぁ、これだ!これだわ!と大変に腑に落ちたわけであります。そして同時に以外と自分は「自分で性自認について悩んでたなぁ」ということにも気づきました(←鈍感)

 なんで悩んでた…ということに気づいたかというと、腑に落ちた瞬間の心の軽さが半端なかったからであります。

 

  それと同時に「なんでいちいちLGBTQみたいなカテゴライズするわけぇ!?面倒くさいわぁ~!」と思っていた気持ちにも変化があり、カテゴライズされるのは嫌という気持ちがある反面、カテゴライズされることで安心する気持ちもあるから、カテゴリーって必要なのね。

…という考えになりました。

 

 有名だからご存じの方も多いと思うのだけれど『人間の欲求』を理論家したものに『マズローの自己実現論』っつーのがあってね。人間には5段階の欲求がありまーすっていう内容で、まず声明を維持するための本能的な欲求で「生理的欲求」があって(トイレとか睡眠とか食事)次は安全の欲求。そのうえに「社会的欲求・所属の欲求」みたいなのがあって、まさにソレ。

 どこかに所属していたい欲求が本当にあるのかもしれないね。それと同時に「未知なる者」ってのは不安を抱かせるけれど、自分自身がわからない…ってのは大変に不安なものであります。自分の一部ではあるけれど『ノンバイナリー』という言語という形になることで見えるものになるため、安心感を抱くのかもしれない…とも思う今日この頃です。

 

 ちなみにその上に「承認の欲求」っつーのがあって、皆さんがsnsで一生懸命満たそうとしている欲求ですね。(精密には承認の欲求にも段階があって、他者からの尊敬や地位への渇望等は低いレベルでの尊重欲求というものらしく、ここにとどまるのは危険らしい。by wikipedia)

 それを通り越して、さらにその上には「自己実現の欲求」というのがあって、今の自分に大切なのは「承認の欲求」よりも「自己実現の欲求」なのかな…と思う今日この頃であります。

 

 Gayはセックスに奔放なイメージがあって、確かに、そういう人も多くいるけれど、そうではない人も多くいるわけです。

 かくゆうワタクシめは、ここ10年近くセックスしていない今日この頃であります。

 

 いや…別にモテないからじゃなくって…ブスだからじゃないってばっ!!(怒)

 

 先日、最期のアラフォー(=44歳)を迎えたワタクシめがたどり着いたセックスに関する答えは「したければすればいいし、したくなければしなくてもいいんじゃない?」ということでした。

 こんな答えは既に皆さんはお持ちなのかもしれないが、ワタクシめは「セックスしなくちゃ!」という強迫観念に支配されていた時代があります。

 

 今時の若い子は承認欲求をインスタグラムはたまたtiktokなどで満たすなど『承認欲求を満たすためのツール』があったけれど、自分が若い頃はまだあまりツールがなかった時代であります。そうすると、新宿二丁目あたりでゲイ友達との「会話」の中で、自分はすごい…という話をすることで承認欲求を満たしていくことになるわけです。

…で、当時の自分の承認欲求を満たしてくれるのは「金」か「男」が充実していることでありました…が、金はないので(フリーターもしくはニートの20代)残された選択肢は「男」を充実させるしかないわけであります。

 

 「男を充実させる」には方法が2つあって、一つは「スペックのいい彼氏がいること。」であります。しかしながら、これは難易度が高い。スペックの高い彼氏を手に入れるためには自分のスペックも高くなくてはならないわけです。これは自分に見合っていない彼氏を作る…というような無理をすると「スペックの高い彼氏ができた!」と周囲に自慢してみせた後に、実はその彼氏には「彼氏もどき」みたいなのが何人かいて、なんなら自分もそのうちの一人だったりして、しかもどこからか友人がその情報を仕入れてきたりすると「あいつ彼氏自慢してるけど、遊ばれてるだけじゃん?」という評価になり、承認欲求が満たされない可能性があるわけです。※実際にそういう友達がいた。

 そしてもう一つは「セックスをしまくって、それを友達に報告すること。」であります。これは難易度が低いし「自由にセックスしたいから彼氏は作らない主義なのぉ~♪」と『いいヲンナ』を演じながら、スペックの高い彼氏が作れないことを隠蔽できる…というすぐれものであります。そんなわけでワタクシは後者を選んだ次第であります。

 とにかく毎日、インターネット(当時は掲示板で相手を探す)でセックスする相手を探し、毎日のようにセックスをしていた次第であります。でも、今思えば、やってよかったセックスなんてほんの一握りだったように思う今日この頃であります。

 

 そもそも自分はもともとパーソナルスペースが人よりも広いので、至近距離に人がいるのも苦手だし、身体を触られたりするのも苦手な陰キャであります。なので、最中も、実はちょっと嫌だったり、それから匂いが気になったり(自分が臭くないかも含めて)して、あまり楽しめてなかった…というのが今だから言える実のところであります。

 でも、次の日に友達と話す時は「昨日の男はまぁまぁだった。」などと『いいヲンナ』風を吹かせるわけです。

 

 人間って生きるものに必要なことを無意識に行うようにできているなぁ…と解剖生理学とかを学ぶと感じるんだけれど『承認欲求』っつーのは、いったい何の役に立つのだろうか…と考える。確かに、承認欲求…というか野望がある方が頑張れる時もあるから、一概に悪者だとは思わないけれど、ワタクシのように「したくもない性交渉をする」…などと承認欲求に支配されて、したくもない事を一生懸命して時間を費やしたりしてしまう危険性もある…と考えられるわけです。

※因みに性欲がないわけではないのですが、自分がやるより見ている方が楽しい…のでAV業界には常日頃から感謝している次第であります。

 

 現代において、下手をすると『私』を支配してしまうものの二大巨頭は『承認欲求』と『スマホ』であります。「支配される」ということはどういういことか…というと、それがゆえに自分にとってマイナスな行動を起こすこと…とワタクシめは思っております。

 例えば「歩きスマホをしていて人とぶつかる」というのは「スマホに支配されている」という状態である…とワタクシは判断するし、逆に「スマホで有益な情報を得る」というのは「スマホを支配し、使いこなしている」ということであります。ゆえに承認欲求についても「承認欲求があるから仕事頑張った!」というのは「承認欲求を支配し、使いこなしている」ということになるのですが、承認欲求のために無理したりするのは「承認欲求に支配されている。」と、自分では思うわけです。

 

 そんなわけで、最近はめっきりセックスをしなくなった次第であります。いや別に相手がいないとかじゃねーから(怒)この業界は『捨てるトコなし』でフェチをこじらせている人がたくさんいるので「太ったオジさんをヒーヒー言わせたい♪」みたいな若者がいたりするんだから…いやマジで。

 

 とにもかくにも…何にも支配されず生きていきたいと思う今日この頃であります。

 

 そんなわけでタイトルにもあるように「精巣腫瘍」になりました、この度、右のタマとサヨナラしました。

 タマだけにタマタマ見つけて早期発見をした次第でありました、保険金も出ましてのでこれぞまさしくキン…タマ。(コラッ!)

 

 ことのはじまりは9月初旬のある夜に、さぁ寝ようとお布団に入ったところ、おもったよりも布団の上部に寝転んでしまい、ズリズリしながら布団にもぐったのでありますが、ズリズリ下に下がったら、ズリズリとパンツが食い込みまして、いやーん…とか思いながら股に食い込んだパンツを直した次第であります。

 その時に睾丸が手に触れて「え!?これガンなんだけど!?」と気が付いた次第であります。

 

 普段から、入浴の際に睾丸に触れて左右差ないよね?なんて確かめたりもしていた次第でありますが、その際に睾丸の触り心地なんかもなんとなくは把握していた次第なので、余計に気が付いた次第であります。

 ちなみに「看護師だから気が付ける」ということでもなく…というのはワタクシめの母親はただの専業主婦ですが、近所の奥さんの乳がんを見つけていたので、素人でも触診で見つけられたりします。ポイントは「硬い」ということ。

 

 がんの専門医の医師に以前、触診でがんを見つける際にどんな触り心地か聞いたところ「まるで中に石が入っているような、もしくはキャンサーという名だけあって、中にカニが入っているようなそんな硬さだよ。」と言われたことがあります。

 また看護師時代に乳がんを触らせてくれた患者さんがいたのですが、まさに「石」って感じでありました。

 

 また精巣(タマタマ)は左右にあるので、右と左で比べられるので、さらに見つけやすいですね。自分も「え!?タマが硬い!ガンなんだけど!?」と思った後に次にしたことは左右差を確認しました。左のタマと比べて明らかに右のタマがデカかった。触り心地も右のほうが硬かった。大きさ比でいったら1:2とか1:3くらい。

 

 次にワタクシが思ったことあ「でも、これガンじゃないかもしれない!もし病院に行って先生にタマ見せて何もなかったら恥ずかしい。」という気持ちでありました。

 「大丈夫じゃん?」と根拠なく考えるように人間の思考はできているそうで、これを「正常性バイアス」と呼びます。あとは、怖くなると逃げたくなるのも人間のsagaですね。

 しかしながら、看護師時代に若い女性の患者さんで自分で触って「しこりがある…乳がんかもしれない」と思ったにも関わらず、正常性バイアスと恐怖が入り混じってしまい放置して、そのうち腫瘍がどんどんでかくなり皮膚を破って外に出てきてしまい「バイオハザード」みたいな状態で助からなかった方いたのを思い出し、翌日には上司に「精巣に腫瘍があるかもしれないから受診します。休みます!」といって病院を受診。

「予約がないとお待ちいただきます。」と言われたのも「いつまででも待ちます!」と「あみん」みたいな覚悟で朝いちばんに病院にいって15時までかかって先生に診てもらった次第であります。

 先生も待たせてごめんね~♪と言いながらきて、ワタクシのたまたまに触れて1秒くらいで「ああ、これ腫瘍だね。」と仰せでした。ちなみにタマの異変に気付いた自分はというとスマホで精巣腫瘍の情報をすごい仕入れており(転移しやすいから急げ!とか痛みがない症例が多い…など。)情報収集すればするほど自分が精巣腫瘍であることに疑う余地がなかったので、先生に言われた時のリアクションは「ですよね~♪」くらいでありました。

 

 ちなみに、とても有益だったのは『ギャラクシー』氏という漫画家さんが描いた漫画(インターネットで見れます)でありました。

精巣ガンのライターが、精巣ガンのマンガ家に会ってきた - イーアイデムの地元メディア「ジモコロ」 (e-aidem.com)

 

【精巣ガン】クリスマスにきんたま取ってみた | オモコロ (omocoro.jp)

 

 ほぼほぼ、この漫画と同じように事が運ぶので、いろいろなことが起こっても想定範囲内でありました。

 

 あえて想定外な出来事としては、どこの病院を受診するかを考えた時にいちばん近いのはかつて自分が働いていた病院なのでありますが、精巣腫瘍だとタマタマを医師や看護師にみせなくてはならないため、わざわざ隣町の病院に行ったのに、同じグループの病院だったため、自分が看護師として働いていた時に看護部長だった人が隣町の病院の看護部長になってて、しかも入口でばったり遭遇する…という出来事が起こったくらい(笑)

 「あらぁ~久しぶり~!今日はどうしたのぉ?」と入口で言われて「せ…精巣に腫瘍が…。」とシモのお話を入り口でするという羞恥プレイとなりました。(ちなみに看護部長は入院中に部屋にお見舞いにもきてくれて、すごく嬉しかったです。心強かった。)
 

 この漫画にあるように即入院、即手術になりますので、精巣腫瘍の診断を受けてからワタクシめは翌日に入院、翌々日には手術でありました。(「本当は今日入院してもらって、明日手術したいくらいなんだけど、オペ室空いてないから明日入院で明後日手術ね」と言われたので、オペ室が空いていれば即日入院事案となるわけです。)

 

 翌日に職場に事情をはなし、うぉーっと仕事を片付けて夕方に入院。翌日には手術となりました。

 

 人生で初めての全身麻酔が怖かったけれど、麻酔科の先生が術前訪問してくれたりもしたし、麻酔かける時も声をかけて下さったので、とても安心しました。睾丸をとる手術で死にはしないけど、死ぬんだったら麻酔関連かな?と思っていたので(自分はアレルギー体質)麻酔科の先生が神様のように見えましたww

 

 手術もギャラクシーさんの漫画にあるように、はい麻酔かけま~す♪はいお願いしま~す♪…あれ?もう終わってる?みたいな感じでした。

 麻酔から目が覚めて朦朧としている意識の中でワタクシがしたことは「精巣腫瘍は10万人に1人らしくて、これを引くってことは宝くじあたるかも!」とスマホでロト6を購入する…ということでした。(麻酔で朦朧としているからこういう行動に出たのか、もともとアホなのかはわかりません。ちなみに1000円あたりました。)

 

 とにかく、この経験から男性諸君は日ごろからタマタマを気にしてあげるよう!ということを言いたいのと、精巣腫瘍は彼女が見つけることが多いので、女性諸君は彼氏のタマタマを可愛がるように!…ということであります!

※因みに上記の漫画家さんはタマの毛を剃ってて気づいたらしいww

 

 またもう一つ大切なのは「大丈夫」とか「恥ずかしい」などと思わずに病院を受診せよ!ということであります。

 やはり精巣腫瘍の転移は早いようで、いろいろと精巣腫瘍の情報を仕入れている中で転移してしまっている人の体験談が多かったです。

 たとえ違かったとして恥をかいたって死ぬよりはマシでしょう?また「大げさな」と嘲笑う医療従事者がいたら「精巣腫瘍って転移が早いから早期発見が大切なんですよ?え~?医療従事者なのに知らないんですかぁ?」と逆に嘲笑ってやるがよろしい。

 

 ちなみに「精巣腫瘍」と「精巣がん」の違いは殆どなく、その多くは悪性腫瘍いわゆる「ガン」だそうであります。

 また精巣の悪性腫瘍には2種類あって、これは専門の医師からの説明を受けた方がいいのですが、ワタクシの場合は「セミノーマ」という比較的管理がしやすい方の腫瘍でありました。

 

 これが非セミノーマだと予後の検査は毎月なのですが、セミノーマだったので、2ヶ月に一度の定期受診で転移がないかの確認をしています。

 

 あとラッキーだったのはさかのぼること6月に県民共済に加入していた…ということ。もともと保険には入っていたのでありますが、県民共済がお安かったので、なんとなく6月に加入して9月には使う…ということになりました。

 おかげで個室とっちゃった♪県民共済及び保険会社の皆様ありがとうございます!

 

 仕事は一か月くらい休んで(本来なら翌週くらいには復帰できるが、新型コロナウイルス感染予防で退院後は2週間の休業要請が職場からあった。)ため傷病手当を職場の事務に依頼して手続きをしてもらいました。こちらも病院に書いてもらわなきゃいけない書類とかあったけれど、金になるなら!と手続きを頑張って、給料の6割はゲットしました!!

 

 「がん」については日ごろからセルフチェック!疑わしきは即受診!

 一度きりの人生ですもの、長く長く生きてやりましょうね♪

 

 追記:お世話になった医療従事者の皆様に感謝申し上げます。本当にありがとうございました。また漫画家のギャラクシー氏にも感謝申し上げます。あの漫画を読んでしっかりと受診し、心乱れることなく治療を受けることができました。

 

 

 

 自分はというと占いの類は全く信じていないタイプの人間であります。…というのも、自分の父が「占いなんて適当である」ということを証明するために、街中にいる手相を診る人に最初は傲慢な感じで「おう!ちょっと手相みてくれよ!」みたいな感じで手相をみてもらったら

「あなたは傲慢なので、他人への思いやりを持つように」

…とアドバイスされ、次に別の人におどおどしながら手相をみてもらったら

「もっと自分に自信を持つように」

…とアドバイスされたことがある、という話を聞いて、信じない人間となったわけであります。

 

 しかしながら、今年はかの有名な「ゲッターズ飯田」氏の占いの本を年末に購入した次第であります。

…なぜ!?占いを信じないはずのワタクシがゲッターズ飯田氏の占いの本を購入したかというと、年末のテレビで松任谷正隆氏がユーミンの性格をずばり当てたのはゲッターズ飯田だ…というようなことを言っていたこともあるが、それよりももっと大きな理由としては「テーマをもって生活しよう。」と思い立ったからであります。

 

 もともと、何をするにもあまり意識をせずに脊髄反射だけで生きているようなところがあるので、目に入ったものに飛びつくような日々であります。(最近、猫を飼い始めたけれど、猫を見ていて自分に似ていると思う今日この頃)

 そのため「蓄積していくものがない」というのが現状であります。

 

 自分の人生を顧みてみると、脊髄反射で何も考えずにチコちゃんに激怒されそうなほどボーっと生きてきた結果、30歳ニート…みたいな結果であったところ、「看護師になる」という目標を持って、コツコツと毎日看護学校に通った結果、国家資格を取得して、お家も購入して、高額ではないが安定した収入(よく看護師求人サイトに高額収入がうたわれているが、あれはあくまでも夜勤とかガンガンやって馬車馬のように働いたら得られる金額であって、世間様と同じ勤務=土日祝日休み…みたいな感じで働いたら手取りは20万円いきません。)を得て、穏やかな日々にたどり着けたわけです。

 まさに「ローマは一日にしてならず」と自分に言い聞かせて(たまにローマを一日で作っちゃうような人がいて、それを見ると『できる気』になるが、自分の脳力を冷静に判断した方がよいと思う。)日々を過ごしております。

 安定を手に入れた結果、またしてもここ数年は脊髄反射で生活しているので『日々積み重ねているもの』がなく数年経過しており、こりゃあイカン!と思って、考えた結果が『ゲッターズ飯田』だったわけであります。

 

 占いに依存しすぎるのはよくないとは思います。例えば大事な友達との用事があるのに、占いの本に「あーん。残念。今日のアナタはアンラッキーの日。どこにもでかけずに家にいるのがよいでしょう♪」とか書いてあるから約束キャンセルする…みたいなのはダメ。

 今のところ、ゲッターズ飯田氏の本にはそういう生活が狭小化するような文言は見当たらないため、参考にして色々なことを意識しながら生活している今日この頃です。

 

 ちなみに、ワタクシは「金のイルカ座」というのになるらしく、今年は「整理の年」らしいので、空いている時間は掃除をして過ごしております。ちなみに同僚にこの話をしたら、同僚もゲッターズ飯田の本を読んでいたらしく、今年は「準備の年」だそうで、資格取得のための学校探しをしておりました。

 

 別にゲッターズ飯田氏でなくていいので「当たるも八卦当たらぬも八卦」くらいの心持で占いなどを参考にしながら「何かを意識して生活をする」とか「何か目標をもって生活をする」というのは、なかなか良いものであります。

 一度きりの人生ですもの。お互いに楽しく過ごしましょう♪

 

 25年続いた人気のゲイ雑誌「Badi」がついに休刊になるとのことであります。

 実はワタクシ、今ではただの普通のデブのオカマのオッサンでありますが、15年前に何回か「Badi」の誌面に出させていただいたことがありました。

 当時、90kg近くデブであったワタクシはデブ専のイケメンと恋に落ち、そのヲトコを追いかけて勢いまかせで渡英し、速攻で破局して舞い戻ってきて「ちっくしょー!!痩せてやる!」とラ○ザップの如く二ケ月で20kgほど脅威のダイエットをした次第でありました。(この話はまた別の機会にお話しいたしますね。)

 

 ダイエットをしたものの、まだまだ成仏できないワタクシの恨み心を成仏させてくれたのが「Badi」でありました。

 当時、まだ今ほどレインボーパレードがメジャーでなかった頃に札幌で開催されたレインボーパレードに参加する読者モデル(…とかいうと響きはいいけれど『読者協力者』と当時は呼ばれていた)を募集していたので、応募したところ採用していただき、札幌のレインボーパレードに参加し、それがご縁で、その後にも1度?2度?程度誌面に出させていただいた次第であります。

 当時、自分の周囲には「Badi」の表紙やセクシーグラビアに採用されてしまうようなイケメンのコたちがいて(なんでかはわからないが、不思議なことに身近にたくさんいた。)一方の自分はというとダイエットしたとはいえ元デブで引きこもりで新宿二丁目のゲイバーで歌う中島みゆきが好評で「あんた不幸な歌はうまく歌うよね!」「よっ!新宿二丁目の別れうた唄い!」などと言われるほど負のオーラを背負っておりました。

 そんなワタクシめが表紙やグラビアほどではないが、ちょこっとでも誌面に出させていただいたことは、本当に人生の背中を押してもらえるような、そんな出来事でありました。

 「Badi」に出た!!…ということが、「イギリスまでヲトコ追っかけてってダメになって帰ってきた!」というイベントを上書き保存してくれたので、大変に恨み心が成仏できた次第でありました。

 

 なぜ、そんなにイケメンでもないワタクシめが「Badi」様に登場することができたかというと、それは「Badi」が「ただのエロ本」でなかったから!…であります。

 ワタクシが登場したのは前述の札幌レインボーパレードの特集と「ネットゲイドルを探せ!」というコーナーでありました。

 当時、ホームページを作っていて、自分のノンケの友達にゲイについてどういう印象を持っているのか…というのをインタビューしたり、ウリ専をやっている友達にウリ専の仕事についてのインタビューをしてみたり…など、今から思えば「頑張ってたなぁ…自分。」と思うようなことをホームページでやっていたので、それをピックアップしてもらったりしたのであります。

 つまり「文化枠」で登場した…ということであり、それは同時に「Badi」には文化的な内容が掲載されていたということであります。

 当時はインターネットが普及し始めた頃で今ほどではなかったので、マイノリティーであるゲイに関する情報を収集するのは困難であり、エロ以外の情報収集(もちろんエロの情報収集もした。Badi見て購入するエロビデオを選定していた。)をするのにマストアイテムでありました。

 

 また当時は誌面に登場するキャスティングをプロのみならずアマチュアからも多く募っており「Badi」の誌面に登場することが一つのステータスでもありました。(そして前述のように文化枠があるのでその競争にブスも参加できる…という仕組み。但し、表紙・グラビア枠での登場と文化枠での登場では土俵が違うため、表紙・グラビア枠と文化枠ではバチバチ火花が散らないww)そのため、どう表現していいかわからないが「Badi」があるおかげで、当時の若い自分たちは「ゲイを頑張れた」という一面があったようにも思います。

 今でいうならば『Instagram』で『インフルエンサー』になるべくして、頑張ってキラキラしている…というような、そんな感じに近いかもしれませ ん。

 つまりは「Badi」は多角的で懐の深い素晴らしい一冊であったワケであります。

 

 今ではゲイとして第一線を退き(どこが第一線なのかはわからんが。新宿二丁目の仲通りは最前線?)朝起きて夜眠り、仕事をして穏やかな日々を過ごしている今日この頃なので夢中で「Badi」を読むことはなくなってしまったけれど「Badi」の姿を見るたびに、昔の真っ暗闇の海を必死で泳いでいるかのごとく頑張っていたあの頃の自分を思い出して瞼を細めていた次第でありますが、ついにそのタイムマシーンのような「Badi」がなくなってしまうのか…と思うと切ない気持ちでもあります。

 また形を変えて継続や再開がなされるかもしれないので、なんとも言えない気持ちではありますが、当時の自分は自分に自信を持てなくて本当につらかったので、そんな時にすごく背中を押してくれた「Badi」に今でもとても感謝しています。ありがとうございました。

 

 

 大好きな漫画である「きのう何食べた?」がドラマ化されるニュースを聞いて、大好きな漫画がドラマ化される喜びと、大好きな漫画がドラマ化されることで世界観をぶち壊されるのではないかという不安とのアンビバレントな気持ちに揺れている今日この頃であります。

 自分が20代の頃はゲイの存在が今のように世間に知らしめられてはいなかったので、自分がどういう40代、50代を歩むのか想像もできなかったし、当時は30代くらいになると自殺するゲイの人が多いという話を聞いたりしていたので、漠然とした不安だけが若い頃の自分にはあった次第であります。

 「ゲイなんて年齢を重ねたら幸せになれないんじゃないか」と思っていた20代の頃の自分は、それが故にかなり退廃的で刹那的な日々を過ごしていたものであります。

 自分が「ゲイなんて年齢を重ねたら幸せになれないんじゃないか」と思っていた理由の一つとして、見本になるようなゲイの40代、50代が自分の周囲にはいなかったということも挙げられるわけです。

 そもそも年上が好きな自分は「30代後半から40代前半」くらいの相手を探して夜な夜な新宿二丁目を彷徨っていたけれど(当時はインターネット

がそんなに普及していなかったので、新宿二丁目には出会いを求めて通っていた。)なかなかいない30代後半から40代前半のゲイたち。

「いったい30代後半から40代前半のゲイたちは何処へいってしまうの!?」と新宿二丁目で叫んだものであります。(実話)

 さらに、新宿二丁目のゲイバーのカウンターの片隅で「若いからっていい気になってんじゃないわよっ!」みたいな感じで若さに対してやっかんでくるアラフォー、アラフィフのゲイを見て(そういう憧れられない年上だけは二丁目に残留してて目につく。)「自分も年をとったらこんな風になるしかないのかな。そうなる前に死んじゃいたいな。」と思っていた次第であります。

 

 月日は流れ、そんな自分も今年で40歳になりました。30歳になるまでは前述のように退廃的で刹那的に生きてきたけれど、30代はすごく充実した10年間であったと思うし、自分の今後の人生に対して絶望を抱いたりはしていない今日この頃であります。

 その理由の一つに「生き方を見つけた」というのがあるかと思います。20代の頃に「30歳過ぎると自殺する人が多くなってくる。若い頃は周囲からチヤホヤされるけど、若くなくなってくるとチヤホヤされなくなってくるからね。」というお兄様(オネェ様?)からの言葉と、結婚を強くすすめてくる親(親にはカミングアウトしていないので)の「自分のためだけに生きるのには限界がある。でも家族がいれば家族のために生きていける」という言葉を参考にして「自分のためだけに生きなければいいんだ。」「じゃあ誰かの役に立ちそうな仕事をすればいいのでは?」と考えて一念発起して33歳の時に看護師になるために大学に入りなおしたのであります。(33歳で看護学校に入って18歳の小娘たちと体育とかやったの。マジで拷問だった。)

 看護師になった今では「別に看護師でなくても、仕事をしている多くの人が仕事を通して社会貢献しているので誰かのためになっている。」と思えるけれど、当時は「誰かの役に立っている」というのが実感しやすい職業として、なんとなく看護師だった次第であります。

 実際に看護師として働いていると「誰かの役に立っている感」はすごく強いので、誰かを助けることで、自分がすごく精神的に助けられているわけです。ちなみにこれはヘルパーセラピー原則と呼ばれていて理論化されており、このヘルパーセラピー原則により、30代を退廃的や刹那的でなく、楽しく過ごせたのではないかと思っております。もはや患者さんたちに生かされた30代でありました。(患者さんも、まさか自分が一人のゲイの人生を救っているとは夢にも思っていないだろうが。)

 

 それと、もう一つは前述の「きのう何食べた?」であります。この作品は本当にワタクシを救ってくれている今日この頃であります。まさに人生のバイブルであります。(ちなみに若い頃のバイブルは『SEX AND THE CITY』だったww)このバイブルがあったからこそ、迷うことのない40歳を迎えられたのではないかと思うわけです。

 マツコデラックスなどテレビに出てくる年上のゲイの人はいるけれど、あの人たちはあくまでも「芸能人」であるため、生き方の参考にはならないわけです。(芸能人になりたいゲイの参考にはなるかもしれないけれど)そんなワタクシに「フツーのゲイの生活」としての見本となったのが「きのう何食べた?」であります。

 漫画とはいえ、すごくリアルなゲイの日常が描かれているので、登場人物である「シロさんとケンジ」は「将来はこんな風に生きていけたらいいな。」と思える二人であります。第1巻冒頭での「東京に住んでいても新宿二丁目に行かないゲイというのは実はけっこういます。」というのが、もう既にリアル!!。

 自分がゲイであることを言うとよく言われるのが「アタシ、一度、新宿二丁目に行ってみたかったんだよね。今度連れてってよ!」というものであり、ワタクシも新宿二丁目には通わないゲイであるため、これがかなり困るわけです。最初の頃はそれでも何とか、ノンケでも入れるお店を探してノンケの子を連れて行ったりしていたけれど、ぜんぜん楽しくなかったww

 さらに、よしながふみ氏のすごいのは「フツーのゲイの日常」がリアルに描かれているだけでなく「フツーのゲイの感性」までもがリアルに描かれている点であります。「ゲイとして生きていると、こういうことがこれくらい面倒くさくて、こういうことで、この程度傷ついたりする。こういう事が、これくらい楽しい。」みたいな所がかなりリアルであります。

 「よしながふみっていう人は本当はアラフィフのゲイなんじゃないか!?」と思い、ググったほどであります。(顔写真はなかったけれど、公の場に姿は出すらしいので、女性で間違いなさそうであります。)

 それくらいリアルなので、お手本にしてもよい作品なわけです。(余談だが、お手本にしちゃだめなファンタジーな世界観ってあるよね。ワタクシ若い頃にユーミンの曲に憧れて『2人のストリート』という曲のようにドライブ中に喧嘩した時に助手席から降りたことあったりしたけれど、あっという間に別れたわ。ユーミンは実践してはだめ。最近の曲はよいけど。)

 そんなわけで、ワタクシを救ったもう一つは「きのう何食べた?」でありました。

 原作では主人公の二人はもう50歳になっているので、40歳のワタクシめは彼らのような「ゲイの50代」を目指していく所存であります。

 

 因みに…。

「30代後半から40歳前半のゲイはどこに行くの!?」という20代の頃のワタクシの疑問についての答えは「充実している30代後半から40代前半のゲイはパートナーがいて、いちいち新宿二丁目に飲みに行かずパートナーと幸せな日々を送っている。」であり、まさに「きのう何食べた?」の二人のような生活を送っているため、めったに飲みには出ないわけですね。今、やっとあの魂の叫びへの回答を得た今日この頃であります。

 

 

 

 

 

 

 

 近所の『TSU●AYA』へ出かけた次第でありますが、映画は長丁場なので男も三ヶ月で飽きてしまうオレとしては、なかなかどうして根性を据えないと見ないまま返却することになってしまうことも多いわけです。

 そんな『だらしなヤロー』を動かすものは、ズバリ『エロ』であります。
 エロに対する人間の行動力というのは素晴らしいものだと思います。

 かつて、自分もレンタルビデオショップの店員さんだった経験があるワタクシは見た!!←市原悦子!?

 カップルで来店して観たい映画が『新作』だったりすると
「『準新作』に落ちるまで我慢しようね。」
…などとラブラブしながら彼女を諭していたハズの男が、独りで来店した時にアダルトビデオの『新作』をガッツリ借りていったのを!!
(ちなみに余談だが某ゲイビデオに出演していた男の子が彼女をつれてラブラブで来店した時は萌えたわ。問い合わせされたので話もしちゃったが、逆にコッチがかなりきょどってしまった)

 そんなわけで「エロ」を楽しめる映画!!
 コンセプトは「レンタルできるエロいゲイムービー」でありますが、たぶん、そういうのを全部見切ったようであります(笑)
(「レンタルできる」ってのが大切であります。)
  
 なので、逆にそこまで見ちぎった映画を「おすぎ」大先生のように「見なさい!」とお勧めしてみようかと思います。←長すぎる前説
 
■『バッドエデュケーション』
ーかつてのフランコ政権下の抑圧的な神学校での少年二人の友情と初恋、神父による性的虐待、および現代の成人して再会した彼らの姿とが交錯して描かれる。かつて自らも保守的な神学校で少年時代を送った監督の半自伝的な作品と言われる。

ニューヨーク映画批評家協会賞外国語映画賞受賞。第57回カンヌ国際映画祭特別招待作品。ー(wikipediaより引用)

 濡れ場もあって、エロかったのぉ。
「ガエル・ガルシア・ベルナル」がカワユくてセクシーでした(笑)
 映画もトリッキーなストーリーなので面白かった記憶がある。←濡れ場しか覚えてない。

■『ブロークバックマウンテン』
―原作はE・アニー・プルーの同名の短編小説。1960年代のアメリカ中西部を舞台に、惹かれ合う二人の若い男性の姿を描く。

2005年のヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞。ゴールデングローブ賞では、作品賞(ドラマ部門)、監督賞、脚本賞、主題歌賞の4部門を受賞。―(wikipediaより引用)

 これも、絡みシーンがあってエロかった(笑)

 そして、残念なのがイニスを演じた『ヒース・レジャー』の早すぎる死。(没年28歳)
 「イケメン薄命」であります。

 そして「イケメン薄命」といえば、もう一人、忘れてはいけないのが『リバー・フェニックス』であります。(没年23歳)
 そんな『リバー・フェニックス』もゲイを題材にした映画に男娼役で出演しており、それが『マイ・プライベート・アイダホ』であります。

 この映画を観た時は高校生だったので、あっという間にリバフェニより年上になってしまいました。 

■『マイ・プライベート・アイダホ』
―リヴァー・フェニックスとキアヌ・リーヴスが主演した青春映画である。売春、同性愛、ドラッグ、近親相姦、ナルコレプシーといったショッキングな設定ながら、ストリートで暮らす若者達の痛み・切なさ・葛藤を詩的な映像美で表現した傑作。 なおこの作品のリヴァー・フェニックスのギャラは、エージェントの反対もあり、ほぼノーギャラで出演。

リヴァー・フェニックスが1991年度のヴェネツィア国際映画祭、全米批評家協会賞、インディペンデント・スピリット賞で、それぞれ主演男優賞を受賞した。―(wikipediaより引用)

 ストレスがかかると寝てしまうという病「ナルコレプシー」に侵されているいる男娼役をリバー・フェニックスが演じているのだが、突然、コテン…と寝てしまうのがカワイイ(笑)
 劇中に常に退廃的な切なさみたいな気配があるのが胸キュンでした。
 ゲイ映画…という視点のみならず「青春」とか「友情」とか、自分が遠い昔に捨ててきてしまったものが描かれている作品でありました。
 
 ちなみに監督は「カス・ヴァン・サント」監督であり、彼の作品を狙ってみているワケではないが、観た後に「いい映画だった~」と思う作品の監督をされていることが多いです。(ex「カウガール・ブルース」「グット・ウィル・ハンティング」など。)
 
■『ハスラー・ホワイト』
―『スキン・フリック』のカナダ映画界の異端児、ブルース・ラ・ブルース監督作。取材のためサンタモニカを訪れたジャーナリスト・ユルゲン。彼はそこで出会ったハスラー・モンティを追ううちに、あらゆる倒錯的な性行為を目にしていく。 ―(『キネマ旬報データベース』より)

 男娼を描いた作品で「ブルース・ラ・ブルース」というゲイをテーマにした映画を撮っている監督で、この監督作品はけっこう観たように思う(笑)
 ちなみにこの監督の作品はかなりエロ重視であります。

 そいでもって、この「ハスラー・ホワイト」の主演の俳優『トニー・ウォード』は、「マドンナのPV(『justify my Love』って曲らしい。←マドンナはよくわからない。)にバックダンサーとしても出演しているトップ・モデル」という経歴であります。

 ちなみに「ブルース・ラ・ブルース」監督の『ノースキン・オブ・マイ・アス』はVHSで持ってます(笑)←中古で100円で買った。
 『ラズベリー・ライヒ』ってのも射精シーンとかあったように思う。
 ちなみに、同監督の『スキン・フリック』という作品を未だ観たことがなくて色々なTSUTAYAを探しておるのですが見つからない(涙)

■『バーディー』
―ヴェトナム戦争で顔に重傷を負って帰還したアル(ニコラス・ケイジ)は、戦場のショックで精神病院に入れられている友人バーディ(マシュー・モディン)を回復させるべく努力していく。かつてバーディは、ひたすら鳥になりたがっていた青年だった。そして今は、鳥のようにうずくまっていた…。
名匠アラン・パーカー監督がウィリアム・ワルトンのベストセラー小説を得て、戦争批判を隠し味に青春と友情の美しさを描いたヒューマン映画の傑作。鳥のように空を飛ぼうとバーディが試みる麗しき回想シーンと現在の冷たい檻の中、彼がカナリアに思いいを託して幻想の中で空を飛ぶ空撮の美しさとその後の冷酷なてん末など、対比の効果がすこぶるうまくいっている。そして意表をついたラストの素晴らしさ。カンヌ国際映画祭特別グランプリ受賞。―(『amazon』より引用)

 ゲイ映画ではないのだけれど、マシュー・モディンがずっと裸なので萌えます。
 そしてニコラス・ケイジ演じるアルとバーディ(マシュー・モディン)の友情もBL要素があるように思うのは過剰反応なのかな?(笑)

 そして監督である『アラン・パーカー』はマドンナが主演であった『エビータ』の監督としても有名ですが、意外とゲイ受けよさそうな映画を撮ってらっしゃるようで同じ監督だ…ということに最近になって気付いた作品として『ミッドナイトエクスプレス』っつーのがあります。

■『ミッドナイトエクスプレス』
―アラン・パーカー監督が、麻薬所持の疑いで投獄された青年が自由を得るまでを描いた硬派のエンタテインメント。自らの体験をつづったビリー・ヘイズの原作を若き日のオリバー・ストーンが脚色し、第51回アカデミー賞を受賞した。―(『amazon』より引用)

 これはテーマは治外法権のドキュメンタリーエンターテイメントなので、濡れ場云々っつーのがメインではないが、刑務所は…ねぇ(笑)
 濡れ場はなかったが、セクシーなシーンがいくつかあったように記憶しとります。

■『オスカー・ワイルド』
―オスカー・ワイルド(Wilde)は1997年制作のイギリス映画。アイルランド出身の作家オスカー・ワイルドと、彼の恋人であったアルフレッド・ダグラスとの同性愛関係を描く。ー(『wikipedia』より)

…で、このオスカー・ワイルドの恋人役が、なんと若き日のジュード・ロウであります。
 そいでもって劇中では濡れ場があるのでジュード・ロウが騎乗位で掘られてるシーンがっ!!
 この映画を見てからジュード・ロウは永遠の恋人であります。←オバさんみたいな発言だが…大丈夫なのか!?

 このように現在では大御所となっているハリウッド俳優たちが同性愛をテーマにした映画などに出演していることも少なくないワケであります。
 レオナルド・ディカプリオの『太陽と月に背いて』ってのは有名であります。

 そいでもって腐女子のあがめるBLの原点とも言える映画に出演しているのは「ヒュー・グラント」であります。

■『モーリス』
―モーリス』(Maurice)は、E・M・フォースターが1913年に執筆した小説(出版は死後の1971年) および、それを原作として1987年に制作されたイギリス映画。

20世紀初頭のイギリスを舞台に、互いに惹かれ合いながらも対照的な人生を歩んでいく同性愛の男性たちを描く。―

 これは、裸は出てくるけれど『耽美』を追求している映画なように思う…ゆえにBL(←BLのコンセプトは『耽美』なので、BL好きの腐女子たちがGAYにフレンドリーか…というとそういうわけでもなく、耽美なGAYでないと認められないようであります)の「元祖」などといわれておる映画なわけです。
 
 ざっと思い出すだけでもこんな感じかな。←けっこう観てる。←引きこもりが長いのでね。

 他にも大好きな『ユアン・マクレガー』が脱いでる『ベルベット・ゴールドマイン』も観たし、同じくユアンが出演している『ピーターグリーナウェイの枕草子』も観た。
 
■『ピーターグリーナウェイの枕草子』
―ピーター・グリーナウェイの枕草子 (The Pillow Book) は、1996年製作のイギリス・フランス・オランダ合作映画である。ピーター・グリーナウェイ監督・脚本。清少納言の 『枕草子』 がベースになっている。衣裳や美術はワダ・エミが手がけている。―(wikipediaより引用)

 ちなみに『緒方拳』とか『ジュディ=オング』が出演してる(笑)
 緒方拳は気付いたけど、ジュディ=オングなんて出演してたかな!?…羽広げてくんないとわかんないよ。←『魅せられて』

 そいでもって、この作品には『Gainer』というリーマン系雑誌のモデル出身の『大史』というヒトが出演してて、このヒトが超セクシーでありました。

 ああ、もうなんだか収集がつかない(汗)
 他にも『ヘドウィッグアグリーインチ』と『ショートバス』は観た。
 『ヘドウィッグ』は普通に良い映画だった。得に音楽がカッコよかった。
 『ショートバス』はエロかった。いきなりモザイクから始まるからね(笑)

 ガッツリなエロDVDでオ●ニーも良いけれど、たまには「ちょいエロ映画」で興奮しつつ、そのエロを動機に映画が描いている世界を堪能して感性を高めるのはいかがでしょうか???