『LGBT』という言葉がメディアなどに多く登場して久しい今日この頃であります。(LGBTって何?って人はググってください。←不親切)それに『Q』を加えて『LGBTQ』という風にも言われたりしているようですね。
…でもって、一応、ワタクシめは性別は男、性自認も男?(←この『性自認』が今回の肝なので「?」をつけました)男性が好きなので『GAY』というカテゴリーになるため当事者となるわけですね。
当初、この『LGBT』という言葉が世の中に出始めた時に「面倒くせっ!」と思った…というのがワタクシめの率直な感想であります。アナーキーを気どりたいワタクシめは「カテゴライズされたくないわっ!」みたいな気持ちになったのであります。(それを通りこして、今は「したいならどうぞカテゴライズして下さい。はいはい、ワタクシはこの組に入ればいいんですね。」という気持ちになっている。年齢を重ねるって素敵…楽な生き方を覚えるわね。)
ワタクシめは20歳代くらいまでボーっと何も考えずに生きてきたので、それまでは自分のセクシャリティーに疑問や不安を抱かずにいたのに、ある日、突然に20歳くらいで急に間欠泉のように不安がぶしゅーっと噴出したわけです。
「え!?ちょっと待って!?自分ってゲイなんじゃない!?」…って。
(17歳くらいで男とセックスとかガンガンしてたのに、そこも何も考えなかった自分の鈍感力にすごいと思うけど…。まぁ…鈍感というよりは知らなかったから迷わなかった…という感じかしらね。)
「このままじゃあヤバイ!老後とかどうなるの!?」と焦ったけれども、無理なモンは無理…みたいな感じで、激流に飲まれた小魚のように今日この日まで流されたきた次第であります。
(全然別の話だけれど、既婚で子供がいるバイセクシャルの人に「俺らバイセクシャルは子供もいるから老後も安心だけれど、君たちゲイは子供もいなくて老後どうするつもりなの?」と言われて「子供がいる=老後は安泰ってどんだけ考えが浅いわけ?明日、あんたの子供は事故で死ぬかもしれないし、年月が流れて『お前なんて親じゃねぇ!』って絶縁されたりするかもしれないから安泰なんて言えないじゃん?そもそもたとえ自分に子供がいたとしても老後の面倒をみさせようなんて思わないと思うし…。」って言い返いしたら二度と連絡とれなくなった人がいた。反撃するために脊髄反射で絞り出した文言だったけれど、自分で言っておきながら、すごく自分で納得したし、何か吹っ切れたものがあった。)
そいでもって最近、すごく腑に落ちるセクシャリティーが登場して、その名は『ノンバイナリー』というもの!
なんとなく腑に落ちなかったのは「性自認」であります。今までのメニューって「男」「女」しかなかったから、「あ、じゃあ男で…」って選んでて、それに対して不安や疑問もなかったんだけれど、「性自認が男」というのがなんとなく腑に落ちなくて(あくまでも『男らしさ』『女らしさ』がある世界での話だが…。)女子たちに「私たちみたいになりたいのね!」と言われると「いや…別に女になりたいわけじゃあ…。」という感じでありました。
性器的には(性器的って何だ?って感じだが)断然チ◎コが良くて、むしろ「もっと大きいのが自分にあったら」とか「もっと形がいいのが自分にあったら」とか考えたりするくらい断然チ◎コ!なのですね。
なりたさ…で言ったら、むしろもともと持っているものが「女」が強いので「男っぽさ」が欲しいなぁ…と思っていたくらいであって(そっちの方がモテるから。このギョーカイでは…。)そうすると「性自認は男か?」となっていたわけです。
そこにきて、新メニュー『ノンバイナリー』の登場であります!いやぁ、これだ!これだわ!と大変に腑に落ちたわけであります。そして同時に以外と自分は「自分で性自認について悩んでたなぁ」ということにも気づきました(←鈍感)
なんで悩んでた…ということに気づいたかというと、腑に落ちた瞬間の心の軽さが半端なかったからであります。
それと同時に「なんでいちいちLGBTQみたいなカテゴライズするわけぇ!?面倒くさいわぁ~!」と思っていた気持ちにも変化があり、カテゴライズされるのは嫌という気持ちがある反面、カテゴライズされることで安心する気持ちもあるから、カテゴリーって必要なのね。
…という考えになりました。
有名だからご存じの方も多いと思うのだけれど『人間の欲求』を理論家したものに『マズローの自己実現論』っつーのがあってね。人間には5段階の欲求がありまーすっていう内容で、まず声明を維持するための本能的な欲求で「生理的欲求」があって(トイレとか睡眠とか食事)次は安全の欲求。そのうえに「社会的欲求・所属の欲求」みたいなのがあって、まさにソレ。
どこかに所属していたい欲求が本当にあるのかもしれないね。それと同時に「未知なる者」ってのは不安を抱かせるけれど、自分自身がわからない…ってのは大変に不安なものであります。自分の一部ではあるけれど『ノンバイナリー』という言語という形になることで見えるものになるため、安心感を抱くのかもしれない…とも思う今日この頃です。
ちなみにその上に「承認の欲求」っつーのがあって、皆さんがsnsで一生懸命満たそうとしている欲求ですね。(精密には承認の欲求にも段階があって、他者からの尊敬や地位への渇望等は低いレベルでの尊重欲求というものらしく、ここにとどまるのは危険らしい。by wikipedia)
それを通り越して、さらにその上には「自己実現の欲求」というのがあって、今の自分に大切なのは「承認の欲求」よりも「自己実現の欲求」なのかな…と思う今日この頃であります。