接待茶屋から旧街道に入ったところからです。


箱根峠は標高846mですが接待茶屋の地点は約750mほど。
ずいぶん下りたつもりですがまだ約100mしか下りてません…



すぐに現れるのがカブト石

{E1C8C607-2F30-4824-BF57-7DB2759E39BD}

カブトに似ているからとか、
秀吉がカブトを置いたからとか、
名前のいわれの説明板が立ってます。

念仏石
{C9978391-489C-4A69-B0AF-058A3FA32564}

旅で行倒れた人の供養のようです。
あともう少しで峠を越えるのに…
昔の旅人の苦労は現代では想像つきません。




下り坂はこれからが本番です。
{F31CB0CE-8515-4F41-B90D-9239334546F6}


明治天皇休息の碑
軽いホラー感が…

{15ECD183-9F72-4112-B348-F412F2014371}


こんな石畳をどんどん下ります。

{208A4940-3160-4D98-9A9F-0E1FF0C0620E}


ふたたび国道へ出ると三島市

{33FE5C33-B8D8-484D-BCCB-D8AE172DAFD8}


国道から再び旧街道へ
大型トラック怖いです…

{2FD88A0A-3F2E-4920-9583-A536A2900966}


杉並木の道が続き

{4F230C51-E4D5-4B20-92F1-CF67FD567BDE}


雲助徳利の墓
{E392D2C7-DC64-4251-8D6F-EF4A89B993ED}


三島市HPの解説を要約しますと、

墓の主は久助という人で、一説には武家の生まれともいわれ、なかなかの器量人であった。
しかし、どのような理由からか一生を人の卑しむ雲助で終わる。
日頃、頭役となり仲間の取り締まりをして困窮の者や若者の面倒みがよく、身銭を切ることもあった。
それゆえ仲間の者や街道沿いの百姓、商人からも厚い信頼を受けていた。
しかし彼は終生酒を愛し、酒を楽しみ、酒の中で一生を終わったといわれる。


…早い話がお酒で命を縮めた方のようです。



ところで、私事ですが…

健診の血液検査の結果、肝機能の数値で要注意をいただきまして
最近、酒量をぐっと減らしております…

飲み過ぎには気をつけませんとね(ー ー;)




ほどなく山中城趾に到着

{4B9A784D-894B-490A-8100-701E30CB5923}


山中城は北条氏康が築城した小田原城の西側を守る支城。
後に秀吉との関係が悪化した際に旧東海道を取り込むように
岱崎出丸を増築するなど増強をしますが完成を待たず
豊臣軍7万の攻撃により半日で落城してしまいました。


山中城は石垣などはありません。
地形を活かした土塁や空堀が、よく復元・整備されています。

{731C58E5-4326-43DE-96F5-30F6DA65C9ED}


北の丸跡
{B759E818-799E-431F-B9A0-EEC994321443}



恐ろしく旧な土塁で守りを固めています。

{70F62F1D-BE1E-441B-9354-B8930A95CDBB}



{27236ED6-CAED-4A9C-8F3E-034E95574FF7}


障子堀といわれる空堀

{58ED4F90-F42B-4E18-AB9E-2710FE282CC6}

畝堀も見えます。
{7000BBE0-2E59-44A2-A8D0-0355A301C272}

中山城趾はとても広く、ベンチなど休む処もないので
散々下り坂を歩いてきた足にはチト過酷でした。

国道をはさんで本丸、西の丸エリアと
岱崎出丸エリアに分かれているので
丁寧に見て回れば2時間くらいかかるかもしれません。
眺めが良い場所もありそうですが早く一休みしたいと出口へ。

駐車場にはトイレと軽食ができるお茶屋さんがあります。


山中城趾からふたたび国道を下って
旧街道へ入るはずですが…




{1C31F0B6-4BC7-4ACC-8FFF-634C411EFC6E}


えー( ̄◇ ̄;)

工事のため通行止め!?

また大きく迂回しながら国道を歩かなくてはなりません(;_;)


ちなみに山中城跡の地点で標高約580m。
まだまだ長い下り坂は続きます。