先日、行って参りました奈良・京都旅行からです。

何から書こうと考えましたが、やはりこの旅行の第一目的であった、
法性寺の特別拝観です。

法性寺は924年、藤原忠平によって建立された藤原家の氏寺です。

忠平の八代の孫、忠通が42歳の厄年のときに大病を患い、
観音様にお祈りしたところ忽ち回復したので「厄除け観音」として信仰を集め、
当時の法性寺は東福寺の五倍の寺域があったといいます。

しかしその後、忠通の曾孫にあたる九条道家が禅寺の
東福寺を建てたことにより衰退してしまいます。

ある本に法性寺についてのこんな話を読みました。


江戸時代には法性寺は東福寺に年貢を納めていたそうです。

ある日「法性寺から年貢を持ってまいりました」と言うと、

「観音堂から持ってまいりました」
と、言い直すように言われたそうです。

言われたほうも意固地になって
「いいえ、法性寺」です。

と言い返すそうです。

法性寺は、小さくなってもかつての栄華の誇りを忘れていないお寺だったのです。


今回の特別拝観で初めて仏間?に上がらせていただきましたが、
御本尊の左に丈六座像の薬師如来様、不動明王様が坐しました。

薬師如来様は元来、法性寺の御本尊。
不動明王様は法性寺内にあった五大堂の中尊でした。

現在でも、不動明王は同聚院に、薬師様は極楽寺におられます。

法性寺の仏間に坐したのは、これらの仏様の模刻で、昭和の新しい仏様ですが、あと何百年か経てば国宝指定になりそうな仏様だと思います。

この仏様達に戻って来てもらいたいというご住職の願いだったのでしょう。

法性寺で頂いた朝日新聞の別刷りによると、ご住職の名前が変わっていますので、この特別公開も代替わりしたせいかもしれませんね。



前置きが長くなりました。

肝心の千手観音様ですが、桜の一木造りで1メートルちょっとの小さなお像です。
左右の耳の後ろに菩薩面と忿怒面をつけて、頭上には24面をつけています。


いざ拝観!

並んだ順番が良くて観音様に向かって最前列のど真ん中を確保しました。

うーん。確かにおられるのですが…

お厨子に入ってらっしゃいますし、
逆光の写真を見ているような感じで目鼻立ちなどはよく見えません(・_・;

写真でみる限りでは、少しぽっちゃりめのお顔に切れ長の目です。

よく見ると千手の持物を持つ指もぽっちゃりとしています。

合掌する手は指先が離れています。
これも子どもの手です。

異国風な方なのかと思いましたが、42歳の厄払いをしたと思えないような可愛いらしい観音様でした。

拝観はボランティアの学生さんの説明のあとに5分間の自由拝観です。

Gさんのお言葉を借りれば、まさにオーディエンス( ̄◇ ̄;)

観音様に殺到するおじさん達!

最前列にいた私は、そそくさと丈六のお不動様の前に避難しました。

うん。これは同聚院に行くしかない。

と、この後、同聚院へ向かいました。


ちなみに法性寺は洛陽三十三観音の第21番札所です。

御朱印は書き置きでした。
これを専用の御朱印帳に貼るのはとりあえず保留にしておこうかな(^_^;)

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