アーナーパーナ・サティ・スッタ(安般念経)
パーリ中部収録の「アーナーパーナサティスッタ(安般念経)」では、「安般念(出入息念)」の瞑想法が詳細され、その後に「七覚支」が説明されています。
この経で説かれる「安般念」は、呼吸を意識しながら、身体・感受(快不快)・心・法(思考の対象)の4つに対して、それぞれ4つずつ、計16種類の気づき(集中と観察)の瞑想を行うことからなります。
「大念処経(サティ・パッターナ・スッタ)」の「四念処」の簡易ヴァージョンと言っても間違いではありません。
「七覚支」は、「四念処」の16の瞑想を行う中で達成されると書かれていて、「七覚支」を完成させることで、「明知」と「解脱」に至ります。
「安般念(出入息念)」の16の瞑想は、「呼吸」をコントロールする呼吸法ではありませんし、必ずしも、呼吸そのものを対象とするものではありません。
そのためか、呼吸の「何(どこ)」に集中するのかも、書かれていません。
多くの観察は、「〇〇を感じながら呼吸する」、「〇〇させながら呼吸する」と書かれています。
ですから、「〇〇を感じる」こと、「〇〇させる」ことを、主要な対象としながらも、同時に、呼吸にも一定の意識を向けるのでしょう。
また、呼吸を対象として観察を初めて、心を落ち着け、集中力を上げてから、主要なテーマの対象の気づきに進み、その合間に都度、意識を呼吸に戻すのでしょう。
「四念処」の16の瞑想は、呼吸への集中から始めて、呼吸と連動する身体、身体が感じるもの、身体が生む感情、それを鎮めること、手放すこと、と自然に気づきを移していきます。
「安般念」は、上座部の「清浄道論」では「止」に分類される瞑想法です。
ですが、「原始仏典」では、必ずしも瞑想法を「止」と「観」に二分しませんし、両立不可能なものでもありません。
この経典では、「止(集中)」と「観」を同時に、比重を変えながら行っていく、古くからの伝統的な瞑想法だと思います。
「四念処」(四つの気づきの確立)の16の瞑想は、次の通りです。
1 身体
(1) 息を長く吸っている時、吐いている時はそれと知る
(2) 息を短く吸っている時、吐いている時はそれと知る
(3) 全身を感じながら息を吸い、吐くと訓練する
(4) 全身を静めながら息を吸い、吐くと訓練する
以上、いつも身体そのものに注意し続けることで貪欲と苦悩を取り除く
2 感受(快不快)
(1) 喜悦を感じながら息を吸い、吐くと訓練する
(2) 楽を感じながら息を吸い、吐くと訓練する
(3) 心の形成作用を感じながら息を吸い、吐くと訓練する
(4) 心の形成作用を静めながら息を吸い、吐くと訓練する
以上、いつも感覚そのものに注意し続けることで貪欲と苦悩を取り除く
* 一般に「四念処」では「感受」としては、「快」、「不快」などを観察しますが、ここでは「止(定)」の要素(禅支)とされる「喜」、「楽」が対象となっています。これらは、集中力が高まると生じます。
*「心の形成作用」というのは、感覚によって様々な感情などが生まれていく、その連鎖のことでしょう。
3 心
(1) 心を感じながら息を吸い、吐くと訓練する
(2) 心を喜ばせながら息を吸い、吐くと訓練する
(3) 心を安定させながら息を吸い、吐くと訓練する
(4) 心を解放させながら息を吸い、吐くと訓練する
以上、いつも心そのものに注意し続けることで貪欲と苦悩を取り除く
*「心を安定させながら」というのは、安止定=三昧の状態でしょう。
*「心を解放させながら」というのは、対象に対する執着や嫌悪を持たない心の状態でしょう。
4 法
(1) 無常であることに意識を集中させながら息を吸い、吐くと訓練する
(2) 色あせていくことに意識を集中させながら息を吸い、吐くと訓練する
(3) 消滅に意識を集中させながら息を吸い、吐くと訓練する
(4) 手放すことに意識を集注させながら息を吸い、吐くと訓練する
以上、いつも諸法そのものに注意し続けることで貪欲と苦悩を取り除く
「七覚支」(七つの目覚めの完成)は次の通りです。
1 念覚支 :身体に関する気づきの確立を完成させる
2 択法覚支:1によって、現象に対する智慧による分析を完成させる
3 精進覚支:2によって、努力精進を完成させる
4 喜覚支 :3によって、心の喜悦を生じさせてそれを完成させる
5 軽安覚支:4によって、心の安静を生じさせてそれを完成させる
6 定覚支 :5によって、心の集中を生じさせてそれを完成させる
7 捨覚支 :6によって、心の平静を生じさせてそれを完成させる
以上の修習を、一人で瞑想し、情熱から離れ、それを消滅させ、それを手放す方向に向かって行うことで、明知と解脱が完成する
*「七覚支」は16の瞑想の中で達成されると書かれていますが、例えば下記のように、各覚支と観察に、一定の対応を考えることができる部分もあると思います。
・念覚支 :1(1)-(4)
・択法覚支:上記と同時
・精進覚支:上記と同時
・喜覚支 :2(1)
・軽安覚支:2(2)
・定覚支 :3(3)
・捨覚支 :3(4)?、4(4)?
・「安般念経」と「清浄道論」やパオ流の安般念の方法の違いについては、姉妹サイトの「安般念(出入息念)」をご参照ください。
この経で説かれる「安般念」は、呼吸を意識しながら、身体・感受(快不快)・心・法(思考の対象)の4つに対して、それぞれ4つずつ、計16種類の気づき(集中と観察)の瞑想を行うことからなります。
「大念処経(サティ・パッターナ・スッタ)」の「四念処」の簡易ヴァージョンと言っても間違いではありません。
「七覚支」は、「四念処」の16の瞑想を行う中で達成されると書かれていて、「七覚支」を完成させることで、「明知」と「解脱」に至ります。
「安般念(出入息念)」の16の瞑想は、「呼吸」をコントロールする呼吸法ではありませんし、必ずしも、呼吸そのものを対象とするものではありません。
そのためか、呼吸の「何(どこ)」に集中するのかも、書かれていません。
多くの観察は、「〇〇を感じながら呼吸する」、「〇〇させながら呼吸する」と書かれています。
ですから、「〇〇を感じる」こと、「〇〇させる」ことを、主要な対象としながらも、同時に、呼吸にも一定の意識を向けるのでしょう。
また、呼吸を対象として観察を初めて、心を落ち着け、集中力を上げてから、主要なテーマの対象の気づきに進み、その合間に都度、意識を呼吸に戻すのでしょう。
「四念処」の16の瞑想は、呼吸への集中から始めて、呼吸と連動する身体、身体が感じるもの、身体が生む感情、それを鎮めること、手放すこと、と自然に気づきを移していきます。
「安般念」は、上座部の「清浄道論」では「止」に分類される瞑想法です。
ですが、「原始仏典」では、必ずしも瞑想法を「止」と「観」に二分しませんし、両立不可能なものでもありません。
この経典では、「止(集中)」と「観」を同時に、比重を変えながら行っていく、古くからの伝統的な瞑想法だと思います。
「四念処」(四つの気づきの確立)の16の瞑想は、次の通りです。
1 身体
(1) 息を長く吸っている時、吐いている時はそれと知る
(2) 息を短く吸っている時、吐いている時はそれと知る
(3) 全身を感じながら息を吸い、吐くと訓練する
(4) 全身を静めながら息を吸い、吐くと訓練する
以上、いつも身体そのものに注意し続けることで貪欲と苦悩を取り除く
2 感受(快不快)
(1) 喜悦を感じながら息を吸い、吐くと訓練する
(2) 楽を感じながら息を吸い、吐くと訓練する
(3) 心の形成作用を感じながら息を吸い、吐くと訓練する
(4) 心の形成作用を静めながら息を吸い、吐くと訓練する
以上、いつも感覚そのものに注意し続けることで貪欲と苦悩を取り除く
* 一般に「四念処」では「感受」としては、「快」、「不快」などを観察しますが、ここでは「止(定)」の要素(禅支)とされる「喜」、「楽」が対象となっています。これらは、集中力が高まると生じます。
*「心の形成作用」というのは、感覚によって様々な感情などが生まれていく、その連鎖のことでしょう。
3 心
(1) 心を感じながら息を吸い、吐くと訓練する
(2) 心を喜ばせながら息を吸い、吐くと訓練する
(3) 心を安定させながら息を吸い、吐くと訓練する
(4) 心を解放させながら息を吸い、吐くと訓練する
以上、いつも心そのものに注意し続けることで貪欲と苦悩を取り除く
*「心を安定させながら」というのは、安止定=三昧の状態でしょう。
*「心を解放させながら」というのは、対象に対する執着や嫌悪を持たない心の状態でしょう。
4 法
(1) 無常であることに意識を集中させながら息を吸い、吐くと訓練する
(2) 色あせていくことに意識を集中させながら息を吸い、吐くと訓練する
(3) 消滅に意識を集中させながら息を吸い、吐くと訓練する
(4) 手放すことに意識を集注させながら息を吸い、吐くと訓練する
以上、いつも諸法そのものに注意し続けることで貪欲と苦悩を取り除く
「七覚支」(七つの目覚めの完成)は次の通りです。
1 念覚支 :身体に関する気づきの確立を完成させる
2 択法覚支:1によって、現象に対する智慧による分析を完成させる
3 精進覚支:2によって、努力精進を完成させる
4 喜覚支 :3によって、心の喜悦を生じさせてそれを完成させる
5 軽安覚支:4によって、心の安静を生じさせてそれを完成させる
6 定覚支 :5によって、心の集中を生じさせてそれを完成させる
7 捨覚支 :6によって、心の平静を生じさせてそれを完成させる
以上の修習を、一人で瞑想し、情熱から離れ、それを消滅させ、それを手放す方向に向かって行うことで、明知と解脱が完成する
*「七覚支」は16の瞑想の中で達成されると書かれていますが、例えば下記のように、各覚支と観察に、一定の対応を考えることができる部分もあると思います。
・念覚支 :1(1)-(4)
・択法覚支:上記と同時
・精進覚支:上記と同時
・喜覚支 :2(1)
・軽安覚支:2(2)
・定覚支 :3(3)
・捨覚支 :3(4)?、4(4)?
・「安般念経」と「清浄道論」やパオ流の安般念の方法の違いについては、姉妹サイトの「安般念(出入息念)」をご参照ください。