達磨の「 二入四行論」(中国禅宗)
禅宗の開祖とされる達磨は、5-6Cの人とされていますが、実在人物であるかどうかも疑われています。
最も古い記録では、ペルシャ生まれの胡人(ソグド)とされます。
達磨の弟子の曇林が、達磨の思想・修行論を、語録の形でまとめたのが、「二入四行論」です。
「二入四行論」は修行体系と表現するにはシンプルすぎるものですが、これを簡単に紹介します。
「二入」というのは、「理入」と「行入」です。
「理入」は原則・本質を述べたものであり、「行入」はそれを具体的に述べたものです。
「行入」の方法が4種なので、「四行」と呼ばれます。
「理入」というのは、経典によって仏法を知り、凡夫も聖者も平等な本性を持っていることを知ることです。
そして、分別を止めて真理と一体化し、作為のない状態になることです。
ここには如来蔵思想の影響を見ることができます。
実は、達磨の弟子の曇林は、如来蔵思想の経典である「勝鬘経」の研究者としても有名でした。
また、「理入」は「壁観」と表現される状態とも違ったものではありません。
「壁観」というのも、「壁に向かった坐禅」のことではありませんし、「壁のように坐禅する」ことでもありません。
妄念なく、作為もない状態でいることです。
一方、「行入」というのは、次の4つの、実践的な生き方のことです。
・「報怨行」
苦を受けても、自分の過去世の悪行の報いであると考えて、他人を憎まずに、真理と一つになる。
・「随縁行」
「私」は無我であり、楽を受けても、過去の因縁によるものであって、縁が尽きれば終わりだと考えて、喜ばず、道に沿う。
・「無所求行」
身体がある限り苦はまぬがれないと見抜き、執着をなくし、真実の道を歩む。
・「称法行」
自己が本来は清浄であると理解し、空を悟り、執着をなくし、法に従って行動し、六波羅蜜を作意なしで行う。
達磨の「四行」は、小乗仏教の修行法である「四念処」と対比して示されたものかもしれません。
「四念処」が坐禅による瞑想修行であるのに対して、「四行」は生活中の実践法である点が、特徴的な違いです。
「二入四行論」には「維摩経」からの引用が多くあります。
「維摩経」は在家主義を主張した経典ですから、生活中の実践法を説く点にも、「維摩経」の影響もあるのかもしれません。
また、少し後の時代になりますが、南宋禅の神会が、北宋禅を批判する形で、坐禅修行の否定を強く主張しました。
達磨の「四行」は、神会以降の禅の考え方、馬祖の「生活禅」や、日本では盤珪の「不生禅」ににつながっているとも言えるでしょう。
ちなみに、神会は、「坐禅」を、座って瞑想することではなく「妄念なく本来の心を見ること」であると再定義しました。
また、「三学」を、「妄心が起こらないことを戒、妄心がないことを定、心に妄がないことを知るのが慧」であると再定義しました。
また、「二入四行論」は作為のないことを重視します。
この思想は、「任運乗」の特徴であり、ゾクチェンなどと共通する起源を持っているのかもしれません。
あるいは、老荘思想の「無為自然」の影響なのかもしれません。
最も古い記録では、ペルシャ生まれの胡人(ソグド)とされます。
達磨の弟子の曇林が、達磨の思想・修行論を、語録の形でまとめたのが、「二入四行論」です。
「二入四行論」は修行体系と表現するにはシンプルすぎるものですが、これを簡単に紹介します。
「二入」というのは、「理入」と「行入」です。
「理入」は原則・本質を述べたものであり、「行入」はそれを具体的に述べたものです。
「行入」の方法が4種なので、「四行」と呼ばれます。
「理入」というのは、経典によって仏法を知り、凡夫も聖者も平等な本性を持っていることを知ることです。
そして、分別を止めて真理と一体化し、作為のない状態になることです。
ここには如来蔵思想の影響を見ることができます。
実は、達磨の弟子の曇林は、如来蔵思想の経典である「勝鬘経」の研究者としても有名でした。
また、「理入」は「壁観」と表現される状態とも違ったものではありません。
「壁観」というのも、「壁に向かった坐禅」のことではありませんし、「壁のように坐禅する」ことでもありません。
妄念なく、作為もない状態でいることです。
一方、「行入」というのは、次の4つの、実践的な生き方のことです。
・「報怨行」
苦を受けても、自分の過去世の悪行の報いであると考えて、他人を憎まずに、真理と一つになる。
・「随縁行」
「私」は無我であり、楽を受けても、過去の因縁によるものであって、縁が尽きれば終わりだと考えて、喜ばず、道に沿う。
・「無所求行」
身体がある限り苦はまぬがれないと見抜き、執着をなくし、真実の道を歩む。
・「称法行」
自己が本来は清浄であると理解し、空を悟り、執着をなくし、法に従って行動し、六波羅蜜を作意なしで行う。
達磨の「四行」は、小乗仏教の修行法である「四念処」と対比して示されたものかもしれません。
「四念処」が坐禅による瞑想修行であるのに対して、「四行」は生活中の実践法である点が、特徴的な違いです。
「二入四行論」には「維摩経」からの引用が多くあります。
「維摩経」は在家主義を主張した経典ですから、生活中の実践法を説く点にも、「維摩経」の影響もあるのかもしれません。
また、少し後の時代になりますが、南宋禅の神会が、北宋禅を批判する形で、坐禅修行の否定を強く主張しました。
達磨の「四行」は、神会以降の禅の考え方、馬祖の「生活禅」や、日本では盤珪の「不生禅」ににつながっているとも言えるでしょう。
ちなみに、神会は、「坐禅」を、座って瞑想することではなく「妄念なく本来の心を見ること」であると再定義しました。
また、「三学」を、「妄心が起こらないことを戒、妄心がないことを定、心に妄がないことを知るのが慧」であると再定義しました。
また、「二入四行論」は作為のないことを重視します。
この思想は、「任運乗」の特徴であり、ゾクチェンなどと共通する起源を持っているのかもしれません。
あるいは、老荘思想の「無為自然」の影響なのかもしれません。