さくら子は、ぼぅっとしていました。

だって、昨日まで話していた男子生徒が突然さくら子の名前を意味不明な文字に変えて叫び、笑っているからです。

その男子生徒には、さくら子は恋の相談だってしていました。男子生徒は、たっぷりと励ましの言葉をかけてくれ、それぞれの青い恋について駅前で語って、互いに切なさを土産に持たせる仲でした。


そんな男子生徒が、学年で1番のヤンチャ坊主と一緒にどうやらさくら子を揶揄っている。

ホームルーム中だからと、担任の先生は怒りますが彼らは退かない。それどころか、また意味不明な文字を叫び、ホームルームが終わるなりさくら子は1人でそそくさと彼らの後を追いかけて「シネーッ」と叫ぶ。

あんなに心から交流できていたのに。わたくしは何もしていないのに。彼らには何もしていない。だからこそ、より許せないひとがいる。


さくら子と少しの間付き合っていた、Aクンです。

Aクンと別れた後のさくら子は、ずっと彼のことを想い、簡単に吹っ切れずにいました。何故なら中学の3年生で初めてのお付き合い、それはそれは楽しく、初めて心を通わせた恋人だったからです。そんな彼に、他校に恋人ができたという。

そのこと自体は、仕方ないと思いました。「そっかァ、お幸せにね。」と、泣きたい気持ちを抑えてさくら子は笑顔で答えた。

それからさくら子は、偶然その恋人についての話を聞き、なんの悪意も、なんの邪心もなく友人達に報せた。大人の今なら、軽はずみにそんなことはしないけれど、さくら子はまだ子供。まるで悪意がなかった。

しかしこれが、さくら子が新恋人の悪口を言ったとされ、あっという間にさくら子を攻撃する輪が広がっていったのである。


さくら子には、その女生徒を貶す気持ちも、嫉妬も、何もかもなかった。ただただ二重に重なったショックをぽつりと口に出してしまったのであった。

ちなみに、女生徒はさくら子を責めることなく、その後明るく振る舞ってくれた、とさくら子は記憶している。だから、尚更、さくら子は今でもその女の子の幸せを願っているのだ。


こうして、昨日まで話していた男子生徒や、ヤンチャ坊主、他にも数名、さくら子を揶揄い続けた。

さくら子は、自分の話をろくに聞きもしないどころか、さくら子を攻撃する輪だけを広げることを黙認したAクンにとても腹が立ちました。


卒業式の日も、さくら子はそそくさと帰ったし、数年経った成人式の日も、会場には現れなかった。

攻撃の輪は数年に渡って続いたのです。

なんてヒマ人。なんて哀れ。結婚しても子供ができてもその精神性は変わらないんだろうか。

せいぜい家族を守れるこころには育ってほしいもんだ。

これはさくら子が考えられる最大限の優しさです。


さて、成人式のタイミングではAクンは「あの時は悪かった」と謝ってきたのです。にも関わらず、さくら子が300人の群衆の前でまたもや揶揄われた時、彼は何もできなかったのです。見ているだけ…。

さくら子は、そのことがなんとなくずっと引っかかっていたけれど、既にその頃には病に冒されていたからか、一度許した気持ちを覆したくなかった。

それからもAクンはさくら子と話すたび、無礼で無神経で、紳士とは程遠い振る舞いをしてきました。

けれどさくら子は、その頃には恋愛感情など抜きにして、理解者と話すことを求めていた。

Aクンとは、遠い昔の夏に、いわばひと夏の恋だったけれど、なんだか阿吽の呼吸だったように思う。

だから、Aクンさえ良ければ友達として仲良くしていたかっただけなのです。それが1番でした。


けれどAクンはやっぱり無粋な言葉ばかりで、さくら子はだんだんと疲れてきました。

そしてさくら子はもうすっかり大人になった頃に、Aクンに長文の手紙を書き、文句をつらつらと語り、さっさと引っ越しました。


なんで、あの時Aクンは、見て見ぬふりをしたのか。わたくしにかける言葉はなかったのか。

さくら子は今でも、むかむかとした気持ちが生まれることがあります。

言ってやりゃあよかった!なんでわたくしはあのことを言うのを忘れていたのか。いや、一度許していた後だったから書くのが憚られたか。

あのヤンチャ坊主の顔、赤ら顔で細かいニキビまでしっかり覚えています。普段忘れていたって、しっかり夢に出てくる。思い出させます。



さくら子は、呪いなんて使わない。

縁切り神社も怖いから行かない。

ようするに、恨んでなどいない。"トラウマ"が残っていて、悪夢を見ると思い出してしまうのである。

だからさくら子はただただ文字を書く。悪夢を昇華して生き延びるために、文字を書き、歌を唄い、絵を描き、金を貰い、丁寧に仕立てられた洋服に費い、そうして生きている。




Aクンの本当の気持ちなんて、誰も知らない。



さくら子の本当の気持ちなんて、誰も知らない。






さくら子は、どこか守ってほしいと感じている。

今もずっと。それがずっとわがままだと思って生きてきた女である。

でも違った、わがままなんじゃなくて、本当に欲しいものは拒絶されるのも手に入れるのもなかなか怖いから、わがままなんじゃないかと疑ってしまうんだ。

だから、さくら子はまだ、「守ってほしい」と口にはできない。堂々とできるもんじゃない。けれど、思うことは自分に許しを出すことにしたのである。守ってほしい。守ってほしかった。守ってほしい。守ってほしい。

この先の誰かに、寄りかかりっぱなしじゃないけれど、万が一何も力が出なくなった時に、守ってほしい。守ってほしい。

さくら子は心で乙女のように唱えることができた。





"守ってほしい

わたくしが誰かに腹を立てたとしても、味方をしながら静かにわたくしの好きなアイスクリームをちらつかせて


一緒に寝ていたら、悪夢を見たとしてもすぐそばにいてくれるように


トラウマが色々とあるわたくしを、全力でそのトラウマから遠ざけて


一方的なことだけ言って、ごめんなさい

                                                      さくら子"