エステテシャンとなった経緯 | MoreRavi(モアラヴィ)☆母娘のブログ☆

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母(Yuko)☆エステティシャン☆
娘(Aiko) ☆元ネイリスト☆

MoreRavi.Yukoですニコニコ


私は幼児期から10代後半までの間に体験した出来事で、気付いたら、10代後半の時に、”外見上の老化”をとても恐れるようになっていました。


特に4才の時に、園の保健室で出会った、もの凄くシワが多かった園長先生との出会いは衝撃的でしたショック!

たぶん、80代か90代だったのでしょうか・・・

とても優しくしていただいたのに、差し出してくれたのど飴も受け取れないくらいに、ジッと凝視してしまい、声も出ませんでした。

(なんて失礼な子供だったんでしょうガーン

でも恐かったんですショック!


今は、シワが多くても素敵な笑顔の方を見ると、美しいって感じられますニコニコきらきら


でも10代後半の時は、その4才の時に受けた体験の影響も含め、、【どうしたらシワがいかないように出来るんだろう】

と、いつも頭のすみには置いていたように思いますrabbit> <;



そして今から約30年前、高校3年生の時に、とあることで道で困ってた所を助けてくれた元ダンナさんと、20才で結婚して専業主婦になったのですが、23才の時に脱毛がきっかけで、エステエステに通うこととなりました。


当時(25年以上前)は、エステエステのお店も今みたいになく、私は正直、エステエステにはさほど興味がなかったので、結婚して元ダンナさんに勧められてなかったら、その年齢で通うことはなかったと思います。


ある時、お店でフェイシャルのお試しを勧められて体験したのですが、その時に思いました。

「月に1度でも続けるのと続けないのでは、違うかも・・・」と。


そんな訳でずっと、なぜかフェイシャルだけは価値観から外せず、29才で離婚をして環境が変わってからも続けていました。


私には帰る実家がないので、娘娘と2人での住まいを探し、29才~37才までの間、会社員をしていました。(美容関係とは全く縁のない会社です)

簿記2級と銀行員三井住友銀行2を2年していた(18才~20才)という経歴でか、すぐに就職は決まりました。

家から徒歩10分、正社員だけど残業なしの17時上がりということで、私にはほんとに有難い条件でした仕事

その間も月に1度はフェイシャルを受けていました。


そして、出来る範囲で興味のあった分野の勉強をし、中でも私にとって”美と癒し”というのはキーワードで、当時のノートを見ても、


「ノートを取る」 やじるしこちらの記事に書いていますノート


”美と癒し”が私の人生のテーマ・キーワード、と自分で記載しています。


37才、会社員8年目で転機がきました仕事

違う部署への移動です。その部署は残業ありで、また実務として新しいことを学ばなければなりません。


なぜかすごく考えさせられました。

「今の私がほんとにしたいことは何?」と点


娘も高校生になっていたので相談し、その間に興味から通信で「認定エステテシャン」の勉強をして取得していたのと、ちょうど募集をしていたのと重なり、思い切ってエステテシャンエステに転職したのです。

まさか、自分が施術する側になるとは、夢にも思いませんでした。


そして5年間、3店舗をエステテシャンエステとして勤務し、42才の時に独立しました。


今、50才を目前にしている私は”美”は決して外見上の見た目ではなく、内側が【どれだけ透明か】で”美”を感じています。

けどやはり外見にも表れるものだとも感じています。

与えられた外見を大切に扱い、できるだけ長持ちさせれるように、という意識は、【老化のスピードを遅らす・遅らせれる】こととつながっているのです。


老化を遅らせたい・・・理由 です


子供の頃に”美”という言葉が魂に響いたこと→”美”への想い


20代前半の時から、なぜかフェイシャルを受けてきたことエステ


なぜか手手はいつも温かく、体型の割合にしては厚みがあること手


そのような事が重なり、今に至っていますニコニコ