Lundi Pâques なんとなく毎年作るla pâte de Pâques…

食事前にchasser les oeufs (隠したチョコレートを子供が探す)をしてからアペロとla pâté de Pâques を食べた



すっかりフランスの恒例行事を普通に我が家でもする自分にやっぱり女は適応力が男とは違うと自負している



これがもし夫が日本で暮らしていたらどうなっていたんだろうか…と思う



Pâques… 日本でするんだろうか…洗礼とかもどうなっていただろう…



誕生日も節目節目にドカンとパーティーしていただろうか?若しくは呼ばれたらフランスに帰って祝っただろうか?…など考える時がある



フランス生活で面倒だな…って思うのは親戚一同が集まる機会が多いことだが、まぁまぁ慣れてくる



嫌いだけど慣れてくる



多分、子供がいるから出来ているとも言える



じゃなきゃ今よりここでの生活に適応していなかったと思う



私の息子は6歳で、まだまだ赤ちゃんみたいだけど一丁前のことを言って私をイライラさせるようになった…結構毎日ダメージを受けている



息子が産まれた時も今思えば適応するまで凄くしんどかった


産んだことを後悔した時があった←今もだけど(え?)



多分、ちょっと育児ノイローゼ気味だったと思う今思うと



なんていうか元々人にお願い出来ない性格だから自分でやってしまうんだけど(頼む時に色々考えてしまって面倒になる)、同時になんで私だけこんな目に?って思っていたから自ずと周りを恨んでいた


出産後、母がフランスに来てくれた時も結局なんていうか持て成して終了した



持て成し中にイライラして母には悪いことをしたなと今でも思う



私は最近48歳になったんだけど、この先をよく考えるようになった




明日死ぬかもしれないとかマジで




明日日本が震災で無くなるかもしれないとか



ずっとあるものが何時か失くなってしまうんじゃないかと考えて


今から後悔してる←ちょっと頑張って?



だから後悔しないように生きなきゃと思いつつ、これと言って行動しているわけでもない






それでもエスカルゴのように前進してきた






例えば仕事






前は専業主婦でいたかったんだけど←人に揉まれたくなて





結果的には日本語教師を始めた(フルタイムじゃないけど)のが対人関係に大いに役立った





あとは今更ながらフランス人慣れするのに役立つ






だからいちいち傷つかなくなった






義家族の集まりもずっと嫌いだけど、昔と比べたらだいぶ自然に参加出来るようになった







結局、自己分析すると、義家族の集まりや日本人の集まりでも何でも何かに期待しながら参加していること(今回はみんな親切なんじゃないか?楽しく過ごせるんじゃないか?とか)が実現しないときに自分を大きく失望させているので最初から何も期待しない、別に結局赤の他人だし外国人だしと卑屈ではなく、私が出席することが周りを納得させているし、良い奥さんを演じる必要もなければ良い日本人を演じる必要もないや…みたくなった







義母も義父も相変わらず糞ババ、ジジだけどそれも重要じゃねぇみたいな






なんだろう、二人共年取ったし前より角が取れた所もある




てか結局みんな何にも考えてねぇ!←それな?



ですから






フランスに来てから(海外で生活している全ての人)私、何も前進してないとか、働いてないとか、働く時間が短いとか、出産するしないとか←私は息子出来るまで周りから結構言われた(おまけに私が作りたくないんでしょ?とも言われたことある)海外生活で思うこと沢山あると思いますが







案外前進してる、それが目に見えないだけ私はそう思います







直ぐに行動起こせる人や熟考型の人それぞれ違いがあれど、私はみんな頑張って生きてると思うんです







けどもし今日地球が滅亡するときに多分、多少なりとも自分を責めたりするんだろうけど、あれをすればよかったとか、もっとこうできた、日本にいればよかった、我慢しなきゃよかったとか






けどそれって結局自分を納得させたいだけで、なんていうか本能的なことだと思う







と書いて自分を励ます…






思うに、幸せだな…って思い慣れてないってこと何じゃないかと思う





フェイススチーマーのことはまた違う日に書きます…