<つづき>

 

旭社の前を通過して本宮へ向かいます。

 

スヌーピー氏が「もう本宮は目の前だよ。」
と言いました。

 

手を清める場所があるので
左手・右手・(本来は口をゆすぐ)・柄杓の柄と

清めます。

 

もれは口は清めませんでしたが

友人スヌーピー氏は口もゆすいでました。

 

清め終わったので、いざ本宮!
と思ったら・・・
最後の階段が待ち構えてました=_=;

 

スヌーピー氏は
「ボクは走って登るのでもれさんはゆっくり来てください。」
と言い残してダッシュで登っていきました。


ちなみに写真では数十段くらいに見えますが
30段登ったところに踊り場というか、数メートルの
平坦な場所があってさらに階段は続いており

下からは角度の関係で上部の階段が見えないのです。

 

ここだけで133段あるそうです。

 

もれは無理せず歩いて登りましたが

残り10段くらいがキツくて足がガクガクになりました。

 

いつも以上に重力の存在を感じました。

 

こむら返るか、倒れるか・・・という

ギリギリの状態で最後の一段を登りきりました。

 

ようやく本宮ですが、この景色を見る余裕も無く
境内の隅の朽ちたベンチにへたりこんでしまいました。

 

息も絶え絶えですが

休憩無しで登り切れました^^v

 

夕方だったので町にはチラホラと

明かりが点き始めていました。

 

歩いてきた経路は地図でいうと青矢印の経路です。

 

多少、呼吸が落ち着いたところで

スヌーピー氏が歩み寄ってきました。


そして「奥の院まで行ってみますか?」
と挑戦的な笑みを浮かべるのです。

 

<つづく>

<つづき>

 

第一の関門を乗り切ると

しばらくは平坦な道になるので
ここで息を整えられます。

 

平坦な道を終えると鳥居があって
ちょっとした階段があります。

 

ですが息も整っているので
そこまで大変ではありませんでした。

 

しかし・・・次の階段を見ると
心がポッキリ折れました>_<;

スヌーピー氏は序盤の階段が一番キツいと
言っていましたが、もれはここが一番キツかったです。

 

ちなみに写真はストリートビューですが
Googleさん、顔にぼかし入ってませんよw

 

上の写真を見るとそんなに長くないように見えますが

写真の日陰部分を登りきると

 

果てしない・・・;

 

もれ的にはここが一番キツかったです。

ここで体力をかなり削られました。

 

息は持ちましたが足が痛くなってきました。

 

この階段の先には旭社があって

立派な造りなので

『本宮かな?』と思ってしまいますが

まだ本宮ではないのです。

 

これがまたもれの心を折りました。

『ま・・・まだ続くのね・・・@@;』 という風に^^;

 

そしてこの記事もまた続くのですw

 

<つづく>

<つづき>

 

さて、道中に戻ります。

 

金刀比羅宮の本宮までは
表参道を通ると785段の階段があるそうで
語呂合わせで

「悩む」(786)より1つ少ない

といわれています。

 

考えようによっては

悩む一歩手前という状況って

とても複雑な心境ですw

 

783段目(悩み)は存在するけど

786段目(悩む)は存在しない と考えると

大した悩みは無い とも

受け取れますけどね。

 

裏参道もありますが今回は表参道から
階段を登ります。

 

表参道には土産店などが立ち並び
いかにも観光地って感じですが
体力に自信の無いもれは店を見て余計な体力を
浪費しないようにひたすら階段を登ったので
あまり記憶がありませんw

 

さて、表参道を歩くと正面に長い階段が見えてきます。

いつものように写真はGoogleストリートビューから引用です。

 

ここでもれのような体力の無い人間は
心を折られることになりますw

 

ですが、登ると言ったのはもれ自身ですから
覚悟を決めて登っていくしかないのです。

 

上の写真のアーケード状になっている場所まで登ると

さらに心が折れますw

 

友人スヌーピー氏は
「この辺が一番キツいくらいかな」と言います。

 

確かに辛そうですがここはまだまだ序盤で
体力に余裕があるので乗り切れます。

 

登るという行動は終盤に体力の限界が近づくほど
キツくなるのがお決まりなのですから油断できません^^;

 

<つづく>

<つづき>

 

ここでいつもの様にまわりクドく
こんぴらさん」について説明しますw

 

こんぴらさんは愛称で正式には
金刀比羅宮(ことひらぐう)
香川県琴平町の象頭山にある神社です。

 

全国にも金刀比羅宮金比羅宮はありますが
それらの総本宮が琴平町の金刀比羅宮です。

 

かなり前に書いた神仏習合の社で
寺院としては真言宗の象頭山松尾寺金光院
神社としては大物主命

(おおものぬしのみこと)を祀っています。


大物主命は水神で金刀比羅宮も海の守り神として
信仰されているそうです。

 

ですが金刀比羅宮のある琴平町は海から離れています。
古代の入り江は象頭山の麓まで入り込んでいた
という俗説もありますが、近年の研究では象頭山の麓は
入り江ではなかったとされています。

 

海から離れていると言っても日本一狭い香川県は
全域が瀬戸内海の恩恵を受けていますから
ここに海の神様が祀られていても不思議ではないです。

 

もれは信心が無いのでこれ以上書きません。
悪しからず^^;

 

平安時代末期に讃岐国に配流された
崇徳上皇も合祀されているそうです。

 

また本宮手前には日本最古とされる芝居小屋の
金丸座(旧金毘羅大芝居)があり
毎年春に歌舞伎が公開されています。

 

片岡愛之助氏や
市川中車(香川照之)氏も来てました。

 

他にも文化財がたくさんありますが

今回は触れません。

 

<つづく>

歴史好き中休みです。

 

先日、友人スヌーピー氏の家を訪問した際

突然、「こんぴら登らん?」と誘われました。

 

香川県民なら「こんぴら」といえば

金刀比羅宮のことだと、考えることも無くわかります。

 

過去に登った時の記憶は定かではありませんが

本宮まではたいしてしんどくなかったと

曖昧に記憶していました。

 

もれの記憶ほど当てにならない物は無い

と自負しているのですが

小学校時代に登ったのは確実です。

 

ですが・・・それより後に登った記憶が

うっすら~とあるのです^^;

 

一緒に登ったメンバーも憶えてなければ

本当に登ったのかも怪しいのです・・・;

 

学生時代だったのか・・・?

社会人になってからだったのか・・・?

少なくとも香川へUターンしてからではない

と思うのですが・・・;

 

もれの記憶はいくら辿っても無駄なので

これ以上、追求しませんw

 

「一緒に登ったよ」という人物でも

現れない限り、お蔵入りですw

 

少なくとも小学生の頃と

現在の体力の差は歴然ですから

しんどいのは間違いないでしょう^^;

 

でも、この日はその後の予定も無いし

『初詣の登山に比べれば楽かな?』

と想像して、約2ヵ月後の初詣の予行演習も兼ねて

金比羅宮へ行くことにしました。

 

まずは車で金刀比羅宮参道まで向かい

地元民のみが知る駐車場に停めて

いざ徒歩で参道へ向かいます。

 

<つづく>

<つづき>

 

楠木氏(くすのき)

 

本貫:駿河国入江荘楠木村
現在:静岡県静岡市清水区?
本姓:
 橘氏?
 熊野国造和田氏?
 秦氏?
 熊野新宮神職楠氏?
通字:正
著名な人物:楠木成、楠木

 

楠木氏の出自は不明で、橘氏流が有力視されており
楠氏と表記されることもあります。
鎌倉時代末期に河内国南部の悪党の棟梁として知られた
楠木正成は後醍醐天皇の勅命を受けて挙兵しました。
※悪党は悪事を働く集団ではなく、武士集団です。
建武政権樹立に貢献して、重臣となりましたが
足利尊氏に湊川の戦で敗れて自刃しました。
のちに嫡子・楠木正行も足利勢と戦って戦死し

家督を継いだ弟・正儀の系統は南北朝の争乱の中で没落し

河内国の土豪に戻ったとされています。
戦国時代に楠木氏の末裔を称する楠木正虎が現れ

松永久秀の支援を得て楠木氏=朝敵という

悪名の赦免を受けました。
但し、楠木正虎は正成の子孫ではなく

伊勢国の楠氏の末裔という見方が主流で、

当初は楠長譜(くすのきちょうあん)と名乗っていました。
楠木正虎は書家、学者として知られ、江戸時代に

慶安の変を起こした由井正雪は楠木正虎の子・正辰に

軍学を学び、正辰の娘婿になったとされています。

 


朽木氏(くつき)

 

本貫:近江国高島郡朽木庄
現在:滋賀県高島市朽木付近
本姓:源氏(宇多源氏佐々木氏庶流)
通字:綱
著名な人物:朽木稙、朽木晴

 

朽木氏は「くつき」と読みます。
佐々木氏庶流の高島氏から分家しました。
朽木氏は代々室町幕府将軍の側近で

織田信長が台頭して室町幕府が滅亡すると

織田氏、豊臣氏に仕えました。
関が原の戦いでは東軍に内通して

所領を安堵されました。

 


工藤氏(くどう)

 

本貫:伊豆国狩野
現在:静岡県伊豆市大平柿木
本姓:藤原氏(藤原南家為憲流)
通字:時、維、光、頼、祐など
著名な人物:工藤

 

原為憲の官職が木助であったことから
工藤大夫と称したのが工藤氏の始まりとされています。
工藤氏は伊豆守として伊豆国に下向しました。
分家として多くの著名人、有名武家を輩出しており
奥州工藤氏、伊東氏、二階堂氏、伊藤氏、入江氏、
原氏、相良氏、内藤氏(甲斐武田氏重臣)などが有名です。

 


九戸氏(くのへ)

 

本貫:陸奥国九戸郡伊保内
現在:岩手県九戸村
本姓:源氏(清和源氏武田氏流南部氏庶流)
通字:連など
著名な人物:九戸政実

 

南部氏の庶流とされていますが、根拠に乏しく

二階堂氏や結城氏家臣・小笠原氏の子孫

という説もあります。
南部晴政から九戸城を与えられて移り住みました。
九戸氏は三戸南部氏、八戸氏に並ぶ勢力を
持っていたとされています。
三戸南部晴政の死後、後継者争いが生じ
晴政の娘婿・信直と九戸政実の弟・実親が候補となり
重臣・北信愛の軍事クーデターで信直が後継者となりました。
この一件以来、三戸南部氏と九戸氏は不仲になり
豊臣氏の傘下に入ることになると九戸政実が挙兵しました。
南部信直が豊臣秀吉に支援を申し出たことで
九戸氏は反乱軍として豊臣勢によって滅亡しました。

 


熊谷氏(くまがい)

 

本貫:武蔵国熊谷郷
現在:埼玉県熊谷市
本姓:平氏(桓武平氏国香流)
通字:維、直
著名な人物:熊谷実、熊谷信

 

熊谷氏は平直方の子孫で

北条氏の本家筋にあたる家系だったとされています。
源頼朝の挙兵に平氏方として参陣し

のちに頼朝に従って平家追討に加わりました。
熊谷直実は一の谷の戦いで平敦盛を討ったことで
能の「敦盛」の主人公として名を残しています。
武蔵国の熊谷氏は戦国時代まで存続しました。
熊谷氏から分家した一族が安芸国三入庄の地頭となり
安芸熊谷氏として在地豪族となりました。
安芸熊谷氏は南北朝時代に北朝方、南朝方に分裂し
南朝方の熊谷氏は滅亡しました。
北朝方の安芸熊谷氏は安芸武田氏に従いましたが
戦国時代に入って安芸武田氏と不仲になり、熊谷信直は
毛利氏に臣従して重臣の一角を担いました。

 


来島氏(くるしま)

 

本貫:伊予国 来島
現在:愛媛県今治市 来島
本姓:
 源氏(清和源氏頼清流信濃村上氏庶流)?
 源氏(村上源氏為平流)?
 伊予越智氏庶流?
通字:通
著名な人物:来島

 

来島氏は村上水軍のひとつ来島水軍を率いた村上通総が
豊臣秀吉に仕えて来島通総と名乗ったことから始まります。
村上氏の出自は不詳で、信濃村上氏の庶流説が主流です。
保元・平治の乱の後、伊予国の島嶼部に移り
伊予村上氏となりました。
伊予村上氏は能島、因島、来島の三家に分かれ
のちに河野氏、毛利氏の水軍として活躍しました。
来島村上氏は能島の村上武吉と不仲になり、羽柴秀吉の
勧誘で織田氏に臣従したことで河野氏、毛利氏の攻撃を
受けて逃亡し、秀吉の保護を受けました。
羽柴秀吉が村上通総を「来島」と呼んだ事から
来島通総と改名したとされています。
羽柴秀吉と毛利氏が和睦すると来島へ戻りました。
朝鮮出兵で来島通総が戦死し、次男・長親が相続しました。
関が原の戦いで西軍についたものの、妻の伯父・福島正則の
取り成しで豊後国に所領を与えられ、改易は免れましたが
水軍を失いました。
その後、久留島氏に改めて明治維新まで存続しています。

 

<つづく>

<つづき>

 

吉良氏(きら):足利三河家

 

本貫:三河国幡豆郡吉良荘
現在:愛知県西尾市
本姓:源氏(清和源氏足利氏庶流)
通字:義、持
著名な人物:吉良貞、吉良

 

足利義氏の次男(嫡男)・泰氏が足利氏を相続し

庶長子・長氏が三河吉良氏、三男・義継が
奥州(武蔵)吉良氏として分家しました。
室町幕府開府後は、御所(宗家)が絶えれば吉良氏が継ぎ
吉良氏が絶えれば今川氏が継ぐと言われるほど高い家格で
分家というより足利別家という存在でした。
吉良氏は足利氏の所領である三河国を任されて

御一家とされ、足利高氏の上洛時、三河国で
吉良貞義が倒幕を主張して高氏を説得したとされています。
のちに宗家(西条吉良氏)と東条吉良氏に分裂して
100年近く抗争し、応仁の乱でも東西に分かれて争いました。
内紛で弱体化した両吉良氏は庶流の今川家臣に身を落とし

今川義元の死後、徳川家臣になりました。
子孫・吉良義央(上野介)が浅野長矩(内匠頭)と
赤穂事件を起こして改易され、約30年後に

武蔵吉良氏が相続して再興され

明治維新まで存続しました。

 


吉良氏(きら):奥州(武蔵)吉良氏

 

本貫:三河国幡豆郡吉良荘
現在:愛知県西尾市
本姓:源氏(清和源氏足利氏庶流)
通字:義、頼
著名な人物:吉良貞、吉良満家

 

足利義氏の次男(嫡男)・泰氏が足利氏を相続し

庶長子・長氏が三河吉良氏、三男・義継が
奥州(武蔵)吉良氏として分家しました。
吉良定家が奥州管領に任じられて陸奥国多賀城
(宮城県多賀城市)へ移りましたが南北朝時代の

奥州には南北の奥州管領や奥州総大将など
四つの勢力が乱立しており、覇を競いました。
奥州吉良氏は優勢でしたが家督争いで没落し

のちに鎌倉公方の招致で武蔵国へ移った

吉良治家が武蔵吉良氏を興しました。
武蔵吉良氏は戦国時代に後北条氏の傘下に入り
武蔵国久良岐郡蒔田(横浜市南区)を領して蒔田氏と
名乗り、後北条氏滅亡後は隠棲しましたが

のちに徳川氏に取り立てられ、三河吉良氏が

赤穂事件で改易されると吉良氏に複して

吉良宗家を相続しました。

 


吉良氏(きら):土佐吉良氏

 

本貫:三河国幡豆郡吉良荘
現在:愛知県西尾市
本姓:源氏(清和源氏源希義流)?
通字:希、宣
著名な人物:吉良望、吉良親貞、吉良親実

 

源頼朝の同母弟・源希義は平治の乱で土佐国へ
配流となり、頼朝の挙兵直後に暗殺されました。
この時、平田経遠の娘が源希義の男児を宿していたとも
希義の孫が逃げ延びたともされています。
源希義と親交があった夜須行宗がこの男児を匿って
源頼朝に拝謁し、男児は三河国吉良荘を与えられ
吉良希望を名乗り、土佐国へ戻ると現在の
高知市春野町弘岡を治めました。
鎌倉時代末期の倒幕運動に加わり

南北朝時代は南朝方で伊予国河野氏と協力しましたが

吉良希雄が北朝方の阿波国守護・細川氏に従属しました。
この頃から通字が「希」から「宣」に変わっており
細川氏から養子を迎えた可能性も指摘されています。
細川氏が中央の権力闘争で土佐国から離れると
吉良氏は本山氏に敗れて家督を奪われました。
その後、台頭した長宗我部元親が弟・親貞に
吉良氏の家督を相続させましたが、子・親実が
殺害されて土佐吉良氏は滅亡しました。

 


九鬼氏(くき)

 

本貫: 紀伊国牟婁郡(室郡)九木浦九鬼浦
現在:三重県尾鷲市九鬼町付近
本姓:藤原氏?
通字:隆
著名な人物:九鬼嘉、九鬼守

 

九鬼氏の出自は不明とされています。
弱小豪族で伊勢国北畠氏に仕えましたが
織田氏が進出すると織田氏に臣従しました。
九鬼氏は水軍を率いて伊勢長島一向一揆と戦うなど
織田水軍の主力を務めました。
関が原の戦いでは九鬼嘉隆は西軍、子・守隆は東軍として
鳥羽城外で父子で戦い、嘉隆が逃亡しました。
九鬼守隆は徳川家康から父・嘉隆の助命を許されましたが
嘉隆はその知らせを受ける前に自刃しました。
その後、徳川政権下で家督相続争いが生じ、
摂津国と丹波国に分割転封となり、水軍を失いましたが
両藩ともに明治維新まで存続しました。

 


久慈氏(くじ):南部氏分家

 

本貫:陸奥国九戸郡久慈
現在:岩手県久慈市
本姓:源氏(清和源氏武田氏流南部氏庶流)
通字:治、信
著名な人物:特になし

 

南部氏の分家以外にも奥州安倍氏の末裔が
久慈氏を名乗っていますが、南部氏分家について書きます。
南部氏家臣として九戸郡を治めていたとされています。
久慈氏の断絶の危機に際して、三戸南部氏(宗家)から
婿養子を迎えて家督を相続させるなど

南部宗家との関係は親密だったようです。
戦国時代に入ると九戸氏と親密になり、九戸政実の乱に
加担したため滅亡しました。
津軽氏の家系図に久慈氏を源流とするものがありますが
津軽為信は近衛家(藤原氏)の傍流を自称しました。

 


福島氏(くしま)

 

本貫:美濃国?
現在:岐阜県?
本姓:源氏(清和源氏頼光流山県氏庶流)
通字:国、基
著名な人物:北条綱成

 

福島と書いて「くしま」と読みます。
50音順の順番間違いではありません^^;
別表記として九島、久島、櫛間などがあります。
源頼光流の山県国親が福島氏を名乗ったとされ
出自は美濃国とされています。
福島正成は今川氏親に仕えて遠江国土方城を守り
甲斐武田氏攻めの総大将に任じられました。
福島正成は武田家臣・原虎胤の夜襲を受けて戦死したとも
今川氏の家督争いの花倉の乱で戦死したともされています。
福島正成の子とされる福島綱成は花倉の乱で今川義元に
攻められて相模国の後北条氏を頼って逃亡すると
北条氏綱の娘婿となって北条綱成と名乗り
玉縄北条氏の家祖となりました。
玉縄北条氏は江戸幕府旗本として存続しました。

 

<つづく>

<つづき>

 

北畠氏(きたばたけ):北畠家

 

本貫:洛北北畠
現在:京都御苑北東角・大原口町付近
本姓:源氏(村上源氏中院庶流)
通字:具、房、顕
著名な人物:北畠親、北畠家、北畠晴
 北畠教、北畠具房

 

中院通方の子・雅家が北畠に居を構えて北畠氏を名乗り

公家として北畠家と呼ばれました。
鎌倉時代末期に後醍醐天皇の重用を受けた北畠親房と
嫡男・顕家は奥州平定のため下向しました。
北畠顕家は足利氏との戦いで戦死し、弟・顕能は南朝方の
伊勢国司として伊勢国へ移り、北朝方の守護と争いました。
織田信長の次男・信雄を養子に迎えて家督を奪われ
のちに信雄が織田氏に復したため、北畠氏は消滅しました。

北畠顕家の子孫の一部が陸奥国浪岡に残って

浪岡氏になったとされています。

 


吉川氏(きっかわ)

 

本貫:駿河国入江荘吉川
現在:静岡県静岡市清水区
本姓:藤原氏(藤原南家工藤氏流)
通字:経
著名な人物:

 吉川基、吉川国、吉川興、吉川元春

 

駿河国入江荘を治める入江氏が吉川氏に改名しました。
当初は「吉川」「吉河」「吉香」など様々な表記でした。
鎌倉幕府から安芸国大朝荘(広島県北広島町)の地頭に
任じられた吉川経光が小倉山城へ移り住みました。
戦国時代に吉川国経は毛利氏と婚姻関係を結びましたが
孫・興経は尼子氏、大内氏の間で離反を繰り返し
近隣国人の反感を買って毛利元就に攻められました。

吉川興経は幽閉され毛利元就の次男・元春が養子として
家督を奪い、興経はのちに暗殺されました。
吉川元春の母系祖父が吉川元経であるため、外孫となり

吉川宗家の血統は受け継いでいることになります。
小早川氏と共に毛利の両川として毛利宗家を支えました。

 


木下氏(きのした)

 

本貫:尾張国愛知郡中村
現在:愛知県名古屋市中村区
本姓:不詳
通字:秀
著名な人物:木下藤吉郎(豊臣吉)

 

木下氏の出自は不詳とされ、藤吉郎の父が木下氏を
名乗っていたという史料が多くありますが、藤吉郎から遡って
木下氏で呼ばれている可能性も指摘されています。
また太閤記などでは貧しい農民とされていますが
名字を名乗っているため、有力百姓だったとされています。
木下藤吉郎は織田信長に仕えて、高台院を娶りました。
高台院は桓武平氏流杉原氏から浅野氏の養女に

なっていたため、秀吉は桓武平氏流を称しました。
のちに豊臣姓を賜って、木下氏の家督は高台院の
兄・家定が相続しました。
木下家定は関が原の戦いで備中足守藩主に任じられましたが
のちに家督争いで改易されました。
大坂の陣の後、木下利房が足守藩主に復帰、木下家定の
三男・延俊は豊後日出藩主となり、両藩は明治維新まで
存続しました。

 


肝付氏(きもつき)

 

本貫:大隅国肝属郡
現在:鹿児島県南大隅町、肝付町付近
本姓:伴氏
通字:兼
著名な人物:肝付

 

平安時代に薩摩掾として肝属郡へ下向した

伴兼行の子孫が肝付氏を名乗りました。
室町時代には島津氏に服属しましたが、戦国時代に入ると
日向国の伊東氏と協力して島津氏に反抗し、島津貴久の
弟・島津忠将を討ちました。
しかし家中の混乱を治めた島津氏の反撃で完全に服属し
大名としての肝付氏は滅亡しました。

 


京極氏(きょうごく):佐々木氏庶流

 

本貫:京都・京極高辻
現在:京都府寺町通四条~五条付近
本姓:源氏(宇多源氏佐々木氏庶流)
通字:高、綱、頼、久
著名な人物:京極氏(佐々木道誉)、京極次、京極

 

鎌倉御家人として近江国を治めた佐々木氏は佐々木信綱の
4人の息子に所領を分割相続させ、六角氏(嫡流)、
京極氏、大原氏、高島氏に分家しました。
鎌倉時代末期、京極高氏(佐々木高氏・道誉)は
足利尊氏に従い、室町幕府四職になりました。
応仁の乱の後、家督相続争いなどで弱体化し、浅井氏の
台頭を招いて没落しました。
京極高次、高知兄弟は織田氏、豊臣氏、徳川氏に仕えて
京極氏を再興し、子孫は讃岐国丸亀藩主として
明治維新まで存続しました。
京極氏の分家には尼子氏、宍道氏などがあります。

 


清原氏(きよはら):出羽清原氏

 

本貫:
 大和国南都?
 出羽国?
現在:
 奈良県奈良市付近?
 東北地方の日本海側?
本姓:
 清原氏庶流(?)
 アイヌ系?
通字:武など(?)
著名な人物:清原

 

平安時代に東北地方に勢力を持った氏族で
出自には朝廷に服属したアイヌ民族説と中央貴族の
清原氏出身の在地官僚説があり、不詳です。
奥羽を支配していた奥州安倍氏が源頼義と戦い
中立の清原氏が頼義に加勢したため

奥州安倍氏は滅亡しました。(前九年の役)
清原真衡が後任の鎮守府将軍に補任されましたが、
真衡の養子同士が対立すると源義家などが介入して
清原氏は滅亡しました。(後三年の役)
清原氏の旧領は藤原氏に復した藤原清衡が継ぎ
奥州藤原氏の地盤となりました。

 

<つづく>

<つづき>

 

神戸氏(かんべ)

 

本貫:伊勢国河曲郡神戸郷
現在:三重県鈴鹿市神戸
本姓:
 平氏(桓武平氏関氏流)
 源氏(村上源氏北畠氏庶流)
通字:盛
著名な人物:神戸具、神戸(織田)信孝

 

伊勢国鈴鹿郡を領した関氏は5人の子に所領を分け
長男・盛澄が神戸郷を領して神戸氏を名乗りました。
伊勢国司・北畠氏に臣従し、北畠氏から具盛(楽三)を

養子に迎えて村上源氏流に変わりました。
※神戸具盛は歴代当主に二人居ます。
北畠氏の弱体化で六角氏に臣従しましたが

織田氏の侵攻で神戸具盛(友盛)は降伏し

信長の三男・信孝を養子に迎えて家督を譲りました。
本能寺の変後、神戸信孝は織田氏に復し

神戸具盛も死去したため、神戸氏は断絶しました。
蒲生氏に仕えていた神戸氏の子孫が
紀州徳川家に仕えたとされています。

 


城井氏(きい):豊前宇都宮氏

 

本貫:下野国宇都宮
現在:栃木県宇都宮市二荒山神社
本姓:
 藤原氏(藤原北家道兼流宇都宮氏庶流)説
 中原氏後裔説
 毛野氏後裔説
通字:房
著名な人物:城井長、城井鎮

 

豊前宇都宮氏が城井谷城を築いて本拠としたことから
のちに城井氏と呼ばれるようになりますが

文書には宇都宮氏、城井氏の両方が使用されており
明確に改名した時期も改名の有無も不明瞭です。
鎌倉時代は有力大名でしたが、南北朝時代には衰退し
大内氏、のちに大友氏に従属しました。
島津氏が進出すると大友氏から離反し、島津氏と共に
豊臣秀吉に降伏しましたが、伊予国転封に従わず
豊前国主となった黒田氏と対立して滅亡しました。

 


菊池氏(きくち)

 

本貫:肥後国菊池郡
現在:熊本県菊池市
本姓:藤原氏(藤原北家隆家流)
通字:経、隆、武
著名な人物:菊池

 

藤原隆家が菊池郡に土着したのが始まりとされています。
平安時代後期に勢力を拡大し、壇ノ浦の戦いで源氏に
寝返りましたが源頼朝の信頼を得られず
少弐氏や大友氏などの監視下に置かれました。
室町時代に肥後国守護に補任されましたが、少弐氏、
大友氏との戦いで弱体化し、家督争いを生じると
大友氏や阿蘇氏に家督を奪われて没落しました。

 


木沢氏(きざわ)

 

本貫:大和国信貴山城?
現在:奈良県生駒郡平群町付近?
本姓:不明
通字:不明
著名な人物:木沢長政

 

出自は不明で、木沢長政は畠山氏に仕えて
畠山氏の混乱に乗じて台頭しましたが
細川氏重臣・三好長慶に攻められて滅亡しました。

 


木曽氏(きそ)

 

本貫:信濃国筑摩郡木曽谷
現在:長野県木曽郡
本姓:源氏(清和源氏義仲流)
通字:家、義
著名な人物:木曽仲、木曽康、木曽

 

木曽義仲の五男・基宗の子孫とされますが不詳で
藤原氏の末裔という説もあります。

南北朝時代に北朝方(足利尊氏派)として
木曽谷に勢力を築いたとされています。
武田信玄に臣従して婚姻を結び一門衆になりましたが
織田氏に寝返り、甲州征伐の引き金となりました。
武田氏滅亡後、深志城主に任じられましたが
本能寺の変後、木曽谷に撤退しました。
羽柴氏と徳川氏の間で勢力維持を図りましたが
下総国へ移封となり、お家騒動で改易されました。

 


北氏(きた)

 

本貫:陸奥国三戸城の北
現在:青森県三戸郡三戸町
本姓:源氏(清和源氏甲斐源氏南部氏庶流)
通字:愛、継
著名な人物:北信

 

南部氏庶流で三戸城の北に居住して北氏と呼ばれました。
南部信義の孫・北信愛が南部氏重臣として活躍し
三戸南部氏、八戸氏、九戸氏に次ぐ権力と勢力を
有していたとされています。

 

<つづく>

<つづき>

 

(前)蒲池氏(かまち)

 

本貫:筑後国三潴郡(みずま)蒲池邑
現在:福岡県柳川市付近
本姓:源氏(嵯峨源氏源融流渡辺党松浦氏庶流)
通字:久、行
著名な人物:蒲池直、蒲池武

 

嵯峨源氏の源久直は神埼荘に荘官として下向し
壇ノ浦の戦いの功績で三潴郡の地頭に任じられ
蒲池邑に住んで蒲池氏を名乗ったとされています。
鎌倉幕府は蒲池氏を少弐氏や大友氏の配下としました。
承久の乱で当主が流刑になると、同族の松浦氏から

婿養子を迎えて断絶を免れました。
九州へ落ち延びて来た足利尊氏との戦いで当主・蒲池武久が
討死すると、娘が女地頭として所領を守ったとされています。
南朝方の宇都宮久憲が筑後国へ下向すると蒲池武久の
娘は久憲の妻となり、久憲が婿養子として家督を相続しました。
以後の蒲池氏は後蒲池氏と呼称されます。

 


(後)蒲池氏(かまち):筑後宇都宮氏

 

本貫:筑後国三潴郡
現在:福岡県柳川市付近
本姓:藤原氏(藤原北家道兼流宇都宮氏庶流)?
通字:久、鑑、鎮、広
著名な人物:蒲池盛、蒲池親

 

宇都宮久憲が前蒲池氏の蒲池武久の娘を娶って
蒲池氏の名跡を相続し、大友氏に仕えました。
当初は筑後宇都宮氏と呼称されたようです。
蒲池氏の強大化を危惧した大友氏は蒲池氏を
兄・鑑久(下蒲池氏)と弟・親広(上蒲池氏)に分割しました。
上下は東西を意味しており、家格は同等です。
少弐氏から逃亡してきた龍造寺氏を保護しましたが
のちに再興した龍造寺氏に攻められ降伏しました。
江戸時代には下蒲池氏は柳川藩立花氏の家老、
上蒲池氏は肥後藩細川氏の中老となりました。
松田聖子(蒲池法子)サンは

下蒲池氏の子孫とされています。

 


蒲生氏(がもう):近江蒲生氏

 

本貫:近江国蒲生郡
現在:滋賀県蒲生郡日野町、竜王町付近
本姓:藤原氏(藤原北家秀郷流)
通字:秀、俊、郷
著名な人物:蒲生賢、蒲生氏

 

藤原秀郷流の一族が蒲生郡を領して

藤原惟俊が蒲生氏を名乗ったとされています。
近江国守護・六角氏、のち織田氏に仕え

蒲生氏郷は織田信長の娘婿として重用されました。
徳川幕府成立後に氏郷が死去すると衰退し
のちに断絶して滅亡しました。

 


蒲生氏(がもう):薩摩蒲生氏

 

本貫:大隈国蒲生院
現在:鹿児島県姶良市付近
本姓:藤原氏(藤原北家教通流)?
通字:清
著名な人物:蒲生舜

 

藤原教清が大隈国の荘園・蒲生院を治めて
蒲生教清と名乗ったのが始まりとされています。
島津氏の家老を務めるなどしました。
戦国時代初期に島津氏が内紛で弱体化すると
渋谷氏、菱刈氏、肝付氏と共に島津氏に反抗しましたが
内紛を制した島津貴久に敗退し、帰順しました。

 


川上氏(かわかみ):薩摩川上氏

 

本貫:薩摩国鹿児島郡川上郷
現在:鹿児島県鹿児島市川上
本姓:秦氏(惟宗氏流島津氏庶流)
通字:久、忠
著名な人物:川上忠、川上

 

島津貞久の子・頼久が分家して川上氏を名乗り
代々島津氏に仕えました。
川上氏庶流は川上忠克、川上久朗などを輩出しました。
島津氏の内紛で薩摩国、大隈国が乱れた際も
島津氏家臣を貫き、川上久朗は島津忠良や義久、義弘から
高い評価と信頼を受けた知勇兼備の名将とされています。

 


河越氏(かわごえ):秩父平氏嫡流

 

本貫:武蔵国河越館
現在:埼玉県河越氏上戸
本姓:平氏(桓武平氏良文流)
通字:重
著名な人物:
 河越(秩父)隆、河越頼、
 郷御前(源義経正室)

 

平安時代末期から南北朝時代まで武蔵国を本拠に勢力を
築いた氏族で、坂東八平氏のひとつ、秩父平氏の嫡流でした。
秩父氏は畠山氏、新田氏などと抗争して弱体化しましたが
鎌倉時代に畠山氏が反乱で没落すると有力御家人になりました。
足利尊氏から相模国守護に任じられましたが、
関東管領・上杉氏に対して反乱を起こして没落しました。

 

<つづく>