<つづき>

墾田永年私財法は発布から約20年後
太政大臣となった知識僧・道鏡によって
停止されました。

開墾された土地の争奪の頻発や
それに伴う地方の武装化、
土地の生産力と租税のバランスが
崩れたことが理由だとされています。

しかし7年後に道鏡が失脚すると朝廷は
墾田の私有を許可するが
百姓を苦しませないこと
という太政官符を発布しました。

墾田永年私財法によって
荘園から富を得ていた中央貴族が
再び富を得るために発布を強要したそうです。

こうして中央貴族は
富を得るための裏金ピラミッド構造を
復活させたのです。

百姓を苦しませないこと・・・
なんて曖昧な文言でしょう^^;

罰則も無かったようですから
際立って目につかなければ
やっても良いよと言っているようなものですね。

奈良時代から平安時代末期まで
この構造は続き
中央貴族は地方民の貧困など
全く意に介さず
贅沢な暮らしを送っていたのです。

もちろん全ての中央貴族がではありません。
一部の名臣、名将には
こうした構造を是正しようとする人物も
居たには居たのですが
一度贅沢を知った中央貴族は
それを手放すわけがありません。

自分達が富を得ることを
正当化するための理由を探したり
あるいは改正思想を持つ人物の
足元をすくって失脚させたりと
富に固執したのです。

この中央貴族の裏金ピラミッドは
源頼朝が鎌倉幕府を
成立させたことで崩れ始めます。

<つづく>