<つづき>
さて、国司の官職として
さて、国司の官職として
介が出てきました。
織田信長は上総介(かずさのすけ)を
名乗っていましたね。
上総国は現在の千葉県中南部で
市原市や茂原市近辺の
房総半島にありました。
織田信長の上総介は自称であり
朝廷の記録にも無いことから
朝廷から叙任されたものではない
という説が主流です。
織田氏が上総国に
荘園を持っていたという記録もありません。
ではなぜ尾張国にいる織田信長が
無関係な上総国の次官である
上総介を名乗ったのか?
という疑問が生じますね。
理由はわかっていませんが
もれが面白いと思った説を
推してみようと思います^^
上総介という官職は
今川氏の歴代当主が世襲していました。
これは史料にも残っています。
今川義元は三河国を制圧すると
勢いに乗って尾張国南部の知多半島を占拠し
尾張国を圧迫し始めました。
尾張国を圧迫し始めました。
その頃に尾張守護代・織田氏の家督を継いだ
織田信長は今川氏に対抗すべく
上総守(かずさのかみ)を名乗ったそうです。
まあ、今で言う詐称ですがw
守は介の上官ですから
上総守である織田信長の方が
上総介である今川義元よりも上だ!と
アピールしようとしたのです。
ところがこの国主シリーズ1で
上総国は大国区分の中でも特殊な
親王任国だと書きました。
親王任国の国主には
親王が就任することになっており
その場合、守ではなく
太守(上総太守)を名乗ります。
つまり上総国には上総太守はあっても
上総守という役職は無いのです。
しかも信長は親王でもありません。
知識人が「織田上総守」という発言を聞いて
その点を指摘したことで
信長は上総守を名乗るのをやめて
今川氏と同じ上総介を名乗るようになりました。
この説、もれはなかなかに
面白いと思うのですが
正式な上総介の官職を担う今川氏に対して
自分こそが上総介だと詐称するのは
かなりイカれた思考に思えます^^;
さすが織田信長ですね。
<つづく>
この説、もれはなかなかに
面白いと思うのですが
正式な上総介の官職を担う今川氏に対して
自分こそが上総介だと詐称するのは
かなりイカれた思考に思えます^^;
さすが織田信長ですね。
<つづく>