<一昨日のつづき>


1615年5月6日午前2時頃
大坂方の木村重成隊は
若江方面へ軍を進めました。


しかし利用するはずの湿地で
自軍が立ち往生するなどして
思うように進軍できずにいました。


なんだか切ない^^;



対する徳川方・井伊直孝隊軍は
大坂方の進軍を予測し
午前1時頃に兵に食事を摂らせています。


この時点でのざっくりした両軍の位置は
下図の様な感じです。

一連の行軍なので長宗我部盛親隊など

八尾方面の陣営も見えていますが

こちらは後述します。


やはり川の流れや地形は現在と
かなり異なるようです。


例えば井伊直孝隊と井伊左右先鋒の間
現在の府道15号線に沿うように
玉串川が流れていますが
当時は川幅が広かったと思われます。

井伊右先鋒から
木村重成隊の間を流れている川は
当時は無かったようです。


図上方の丹羽長重隊、榊原先鋒部隊の
下側にあるU字型に曲がった道は
当時は川で玉串川に繋がっていたようです。


長宗我部盛親本隊と

長宗我部先鋒の間にも長瀬川があり

もっと広い幅だったと思われます。
※この縮尺ではほぼ見えませんが
 長宗我部盛親隊が布陣している

 八尾高校の敷地の東を沿うように流れています。


このように複数の川が流れていたため
この地域は湿地帯だったのです。


若江方面の木村隊の前進に併せる様に

八尾方面では長宗我部盛親隊が

行軍しています。


盛親は先鋒部隊の吉田重親隊に

長瀬川を渡らせて索敵をさせていました。


その吉田隊の前方には

藤堂高虎隊の中先鋒部隊と

少し南に左先鋒部隊が

迫っていたのです。



<つづく>