<つづき>
1615年5月1日
後藤又兵衛を大将とした
前隊6,400が大坂城を出立しました。
前隊には薄田兼相、明石全登などが
加わっています。
後隊として真田幸村を大将とした
12,000の軍勢が続きました。
後隊には毛利勝永、福島正守、
大谷吉治、細川興秋などが加わっています。
大谷吉治は関が原の戦いで
石田三成に味方した大谷吉継の子です。
真田幸村の妻が大谷吉継の娘で
大谷吉治の姉という関係から
両者の親交は深かったと思われます。
細川興秋は細川忠興の次男で
忠興が三男・忠利に家督を譲ったため
不満を持って細川家を出奔した人物です。
福島正守は福島正則の近親なのですが
子、弟、甥など諸説あり
詳細の不明な人物です。
従兄弟に当たる福島正鎮も
陣を同じくしています。
ちなみに・・・福島正則は
安芸国の広島と備後の鞆(とも)を
治める広島藩主でしたが
病のため嫡男・福島忠勝が
徳川方に代理参戦しています。
福島正守、正鎮が大坂方についた理由は
調べてみたのですがよくわかりませんでした。
これらの隊は大坂城を出ると
大和路と紀伊国から迫る
徳川方を迎え撃つため
大坂城南へと軍を進めました。
翌5月2日には河内口方面部隊が
大坂城東部の湿地帯へ出陣しました。
前隊として木村重成が6,000の軍勢で
若江方面へ先発しました。
続いて長宗我部盛親、増田盛次隊が
5,300の軍勢で後隊として八尾方面へ
出陣しました。
一方、京都の伏見に集結した
徳川勢の出立は5月5日でした。
家康は短期決戦を期しており
三日分の兵糧があれば充分だと
通達したそうですが真偽は不明です。
夏の陣の本戦は
キッチリ三日で終結しています。
家康の先見が正確だったという
エピソードになっていますが
もれ個人としては
親家康派の創作のように思うのですが^^;
<つづく>