<つづき>
大和郡山城攻めを命じられた
この大野勢の動きに対して
筒井兄弟は急遽、軍勢を集めました。
大和郡山付近の浪人、農民、商人などは
筒井順慶が戦国大名であった時代から
筒井氏には恩がありました。
合戦などしたことがない民衆が
筒井氏の危機を知って集まったのです。
筒井氏の政治が良かった証しでしょう。
筒井勢は千人ほどになりました。
ところが実戦経験のない兵士が
偵察に出てしまい
2千の大野勢を見て3万の大軍だと
誤った報告をしてしまったのです。
筒井定慶は3万vs1千では
歯が立たないと考えて
大和郡山城を捨てて逃走しました。
弟・筒井順斎は兄の逃亡を知ると
不甲斐なし!と憤激しましたが
兵士らも既に逃亡しており
やむを得ず興福寺へと逃亡しました。
対する大野勢は城下に放火し
城攻めを開始しました。
しかし城兵は
わずか30人ほどしか残っておらず
大和郡山城は容易く陥落しました。
大野治房は大和郡山城を手中に治め
目的を達成したかに見えましたが
徳川方の水野勝成が
接近しているという情報を得ると
城を捨てて大坂城へと撤退しました。
ちなみに筒井兄弟は
大野勢が2千であったことを知ると
戦わずに逃亡したことを悔いて
大坂の陣終結後に自害しています。
夏の陣の前哨戦ともいうべき
大和郡山城の戦いは大坂方の勝利でしたが
防衛拠点とすることができてないので
結局は大きな意味を成さない戦いでした。
<つづく>
