<つづき>
大坂冬の陣の目玉といえば
真田幸村の真田丸攻防戦です。
来年2016年の大河ドラマが
「真田丸」ですね。
計らずも予習のような
感じになりました^^;
三谷監督の脚色・演出が
どのように加わるのかが楽しみではあります。
このブログでは展開のみを追います。
真田丸は大坂城の南、
現在の真田山公園付近に
築かれたとされていますが
詳細な場所は不明だそうです。
異説として真田山公園の200mほど北にある
どんどろ大師付近だったというものもあります。
当時の大坂城の城域は
下図のような範囲だったとされています。
※東に関しては平野川ではなく
地下鉄長堀鶴見緑地線の辺りだったともされています。
真田丸は東西180mの
半円形(三日月型とも)の曲輪でした。
真田丸の南には篠山という
小高い丘があったようです。
真田幸村がここに出城を築いた理由は
大坂城の構造にありました。
大坂城は淀川、大和川を利用しており
守り易い地形でした。
しかしながら当時、南側の長堀川以南は
開けた土地になっていました。
幸村は大坂城の弱点が南だと考えて
徳川家康が南から攻め寄せると予測し
そこに真田丸を築いたのです。
実際、徳川家康本隊は京都を発すると
大和路(奈良方面)から
大坂城の南に進軍して
現在の天王寺公園付近の
茶臼山に本陣を敷きました。
冬の陣攻防戦というと真田丸の戦いが
最もクローズアップされますが
最も激しかったのが真田丸を含めた
城南域の戦いだったということであり
大坂城の周辺全般で戦いがありました。
まずは時系列に沿って
見ていきましょう。
<つづく>